
こんにちは、mika( @europe_life15)です。
9月もあと数日で終わりですね。この1ヶ月半、いろんなことが起きました。
別記事のエッセイで何度も触れていますが、8月後半に義祖母を亡くしてから人生について考えることが増えました。
そんな中、「考える」はあえて意識せず「やめる」ことを意識したら、2年間考えていたのに見えなかった答えが自然と見つかりました。
ずっと見つけられなかった答えがいきなり降ってきた。
今日はそんな体験をシェアしたいと思います。
目次
考えているようで考えていない

わたしは2年近く、自分の方向性に悩んでいました。
今後どうしていきたいのか、自分はどうしたいのか、ことあるごとに考えていたのに答えがでない。そんな日々がつい2週間前まで続きました。
時にペンとノートを取り出し「なりたい像」を書き出してみたり、誰かのある部分に憧れて「わたしもこういう風になりたい」と思ったことを書き留めたり、自分なりに考えてはいるつもりでした。
でも、そんなことを何度繰り返しても考えても考えても、しっくりくる答えは見つかりませんでした。頭で考えすぎて、事実と感情に大きなギャップがあったんだと思います。
考えても考えても机の上からは何もでない

ペンとノートを前にいろいろ考えましたが、結局、本当に本心から「やってみたい!」と思える答えは出てきませんでした。
自己啓発書もたくさん読んだし、それにあわせて自己分析もしてみた。でも、やってもやっても何かがピンとこない。
紙にはそれらしいことがいくつか挙がってる。けど、本心から「やってみたい!」とワクワクするようなことが見つからない。
実際に分析もしたし、本も読んだ、それなりに行動もしてる。「やった気になってるわけではないのに何がいけないんだろう・・・?」と別の悩みが出てきたほど、考えつくしました。
それなのに答えが出ない。
そんな自分に焦ったり苛立ったりすることも何度となくありましたが、今思えば「机上でどれだけ考えてもいいアイデアは生まれない」のと同じなんですよね。
やめることで見えてきたもの

記事冒頭でも書きましたが、義祖母が亡くなったことは「人生」について深く考えるきっかけになりました。
また、9月末に向けた家の退去と片付けで、この1ヶ月間はいつも以上に忙しい日々が続きました。
忙しい中でもブログは書きたい。本音を綴ったエッセイも更新したい。ツイッターでリアルな日常生活も発信したい。
と、やりたいことはたくさんありました。「やらなきゃいけない」ことではないけれど「やりたい」こと。でも、そこにもかすかなギャップがありました。
やりたいはずなのに気持ちが乗らない。書きたいはずなのに書けない。発信したいはずなのに何を発信していいかわからなくなってしまったのです。
そして、思い切ってやめてみました。
ブログもエッセイもツイッターも、「書きたい!」という強い思いがない限りは発信しないでみることにしたのです。
すると、空いた時間の中からぼんやりと何かが見え隠れしてきました。
答えが見えたら自然と行動したくなる

ぼんやりと見える薄い光がなんなのか、最初はわかりませんでした。見えているような見えていないような。
その光が強く見えはじめるようになったのは、とある人との出会いがきっかけでした。ちょうど「やめる」をしてから10日ほど経った頃です。
「こういうことをしたい」
「こういう風に在りたい」
「こういう人間になっていきたい」
光というか、そんな風に思える瞬間があったのです。
これからの「自分の軸」らしきもの。それは頭ではなく感情で湧き上がってきました。
過去2年間、どれだけ考えても考えてもしっくりこなかったのはそういうことか。感情が湧き上がらなかったからピンとこなかったんだ。そう思えました。
答えが見えたら早いです。
それに向けて考えはじめ、自然と行動している自分がいます。善は急げではありませんが、躊躇する理由なんて何一つなければあとは実行あるのみです。
やめてみる。答えは外にある。

あんなに考えたのに出なかった答え。それは「やめる」ことで見つけられました。
忙しいとき、あれもこれもやらなきゃとタスクをこなし多忙を極めていく。そんな中で時間をとって、ゆっくり落ち着いて考えるなんてどれだけの人ができるのだろう?
忙しいながらに時間を取り、ゆっくり思考をめぐらせることなんて多くの人はできないんじゃないかな。時間を気にしながら「考える」に集中して、自分の本質は見えてくるのかなぁ?
時間を気にしてる時点で、自分の奥深くにあるものに問いかけるのは難しいし、そんな簡単に答えが出たら、悩んでる人なんてこの世には存在しないんじゃないかとさえ思います。
でも、考えるのをやめて、机の上にある紙とペンに向かうのもやめて、人に会ったり違う感性を体験できることをしてみたらどうなるだろう?
「やめることで心に余白ができ、新しいことを吸収できる余裕がうまれる」
何かを捨てれば、新しい何かが入ってくる
今月は「考える月」だった。自分がしていきたいこと、何が人の役に立つのか、自分の人生はどうしていきたいのかなどなど、今後の5年・10年を中長期的にイメージできるきっかけになったのは、やらなきゃいけないことをやめて立ち止まったから。心の余白がないと感性のまま思いにふけられない。
— mika@スペイン/フランス (@europe_life15) 2017年9月27日
「何かを捨てれば新しい何かが入ってくる」とはよく言われるけれど、空いたすきまが空きっぱなしになることはないから大丈夫。
言葉の意味はわかる。けど・・・。
わたしもそう思っていました。
やめた分のすきまがそのままになって時間が無駄になったらどうしよう・・・。と、つい2週間前までそう思っていました。時間が無駄になりそうで怖かったんですよね。
やめることで入ってくる新しい何かは人それぞれ。わたしの場合は「欲しかった答え」でしたが、人によっては起業アイデアかもしれません。
でも、やめた分はちゃんと何かが訪れてくれます。なので、安心してやめてみてほしいなと思います。
さいごに

さいごまで読んでくださりありがとうございます。
「やめる」ことを意識しただけで自分の本心を知ることができた、わたしの体験談をシェアさせていただきました。
お金もかからず誰もがその瞬間からできる、答えの見つけ方です。
もしこの記事を読んでくださっているあなたが何かに悩んでいたら、やめることでその答えが見えてくるかもしれません。