メンタルの調整に効果的な
「自分が気もちいいことをする」
って言葉。
私はこれがとても苦手だった。
自分が気もちいいこと。
これがなかなかわからなかったからだ。
自分のことだし
自分が「気もちいい」と思うことなら
なんでもいいはずなのに
なぜかこの言葉に
いつも戸惑っていた。
自分って不思議な生き物だなぁ~
と自分のことながら
どこか遠い目で見ていたのだ。
冷めてる…よね。笑
これって実は
とても重症だってことに
自分でも気づいてなかった。
う~ん、
気づいていたけど
あえて気づかないようにしていた。
って方がしっくりくるかな。
自分で言うのもなんだけど
わたしは相手の気もちが
自然と伝わりやすい性質みたいで
それが裏目に出て
自分の気もちは後回しにしてた。
ほら、
長所と短所は裏返し
ってよく言われるじゃないですか。
私が「感じる気持ちいいこと」は、
世間的には
「ムダ」な時間とも言われてる。
日本での社会人生活
11年もの間ずっと
「効率」「生産性」ばかりを求められた。
それに適応すべく
必死にがんばって食らいついた。
おかげさまで
効率性は申し分ないほど成長したし
生産性は自分で設定・進捗・管理
できるようにもなった。
そんな生活のなかでも
ホッと一息できる時間が
私は大好きだった。
な~んてことない時間。
1人ランチでカフェへ行き
カフェラテに癒されたり
ひとり読書タイムしたり。
会社が東京・銀座にあったので
仕事おわりに
目的もなくふら~っと歩いたり。
ウィンドウショッピングしたり
歩きながら人間ウォッチしたり
こんなお店あったのか!
なんて隠れ家を見つけるのも楽しかった。
なんていうか
銀座の街にとけ込んでる時間
そのものを味わってた感じ。
いま思えば、
知らずのうちにこうやって
心のバランスを取ってたんだなぁ~。
(週に1~2回はやってた)
「自分が気もちいいことしてください」
の言葉を真に受けて
効率的や生産性も無視して
その時間を過ごしてる
自分そのもの
時間そのもの
対象そのもの
を心地よく感じられること。
これが大切だったんだ。
ニガテだったのは
わたしの心がくすんでたから。
濁りまくって
「気もちいい気分」
「気もちいい感覚」
が感じられなくなってた。
ヒトコトであらわすなら
感覚麻痺…
で、いまはどうかというと…

写真には映ってないけれど
家の前にリスが飛び跳ねて遊んでる
のを見つけてワクワクしたり
すずめに似て異なる
小鳥の音色に耳を傾けたり
(いろんな音色があるの!)
霧でかすんで
空と海の差がなくなった
幻想的な景色にうっとりしたり
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銀座シティガールから
自然のナチュラルガールへ
変貌を遂げました。笑
環境は変わったけれど
ホッとひと息できることって
そう変わってない。
いまでも行きたくなったら
ウィンドウショッピングしに
目的なく見に行くし
街中にとけ込みたくなったら
市内をウロウロしてみたり
ふらっとカフェに入ったり
テキトウにふらふらと
市内探索してます。
気もちいいことって
本来はきっと
こんなふうにテキトウでいいんだと思う。
難しく考えて
こむずかしく捉えて
心をこじらせてたのはわたし自身でした。笑
ってことに気づいてからは、
リスを見るたびにワクワクしたり
毎朝する愛犬との散歩で
海をながめたり
近所の林で森林浴したり
なんてことない毎日から
たっぷり栄養もらえるように
心がけるようにしたら
「気もちいい」が
もっと感じられるようになって
なんども味わえるようになって
満たされた気もちが増えました。
しあわせセンサーを稼働させるのは
こんな小さなところからでダイジョウブ。
あなたはいつ
ホッと一息しましたか?