
どっか行けよ ブース!!
今思えば、それはただの悪ふざけだったのかもしれない。
幼稚園の真ん中、年中さんあたりからの記憶がある。
かなりうろ覚えだけど、自分の中で「わたしはブス」という認識をしていたのは覚えてる。
小学校も後半にさしかかる4年生頃から、この言葉が戻ってきた。「どっか行けよブース!」と言われてうれしい女の子がいるわけない(と思ってる)。
中学生になってもこの言葉をかけられるたび、ブスなりにも落ち込んだのだ。
今でもたまに思い出すこの言葉は、わたしにとって長い間「人につくられた思い込み」として常に心のどこかにあった。
かわいく生まれたかった。
いや、かわいくなくてもいい。もう少しマシな顔がよかった。
なんでこんな顔に生まれてきたんだろう。
何度も何度も考えたし、数えきれないくらい自問自答してきたけれど、どれだけ考えたって生まれもった顔立ちは変えられない。
そんなことに毎回ながら気づいて、変えられない現実を恨んだりもした。
あの子はなんであんなにかわいいんだろう?
あの子はなんであんなにモテるんだろう?
あの子はなんであんなにキラキラしてるんだろう?
うらやましくて仕方がなかった。
人から言われた言葉をそのまま受け止めてた
なぜこんな話しをしてるのかっていうと、散歩中にふと昔の記憶が蘇ったからだ。
どっか行けよ ブース!!
って、よく男の子に言われたな~。
まわりの女の子は何を言うわけもなく、彼女たちの本心に疑問だらけだったな~。
そんな過去をふと思い出した。
わたしはずっと投げかけられてきた「どっか行けよブース!」って言葉を消化するために、自分の中へ受け入れてきた。
言われ続けるとだんだん慣れてきて、ブスという言葉もあたり前のようになってきた。
結果、人に作られた思い込みを抱えて長い人生を過ごすこととなった。
人からの認知が変わった・・・?
吐き出せない思いを心の中に溜めこんだまま成人したわたしは、社会人になってからまわりの様子が違っていることに気づきはじめた。
「かわいい」と言われる立場にいきなり変わったのだ。
なんで??
なにが起こったの?
会社に入っただけなのに、何かが変わった・・・。
理由はよくわからないけど、そんな感覚だけは覚えてる。
3年ぶりの採用で入社した子が21歳だったこと。同期入社がいなくてひとりだったこと。営業メインのアットホームな職場だったことが重なってか、わたしは先輩・上司からかわいがってもらった。
そのお返しはもちろん、仕事で返すように努力した。
部署異動しても褒められる状況はつづき、わたしはいつしか「どっか行けよブース!」から「褒められカテゴリー」に変わっていた。
もう一度言う。
会社に入っただけなのに・・・だ。
本人の意識とは違うところで、まわりが勝手にそう捉えてくれたのだ。
人からの思い込みで過ごしてきた人生
長年かけられ続けた言葉は、わたしの中の大きな部分を占めていた。
幼少期~中学3年まで浴び続けてきた言葉は、わたしの深い部分まで浸透していた。
高校に入って直接「ブス」とは言われなくなったけど、心のどこかで「わたしはブス」だから人に好かれない、だから利用される、だからモテない、と思っていた。
それが、会社に入っただけで、場所を変えただけで、まわりが勝手に「褒められカテゴリー」へわたしを入れてくれたのだ。
褒められてうれしい気持ちとくすぐったい気持ち。
仕事を通して褒められることが多くなっていくにつれ、いつしか「ブス」が気にならなくなっていた。(そもそも仕事とブスは関係ないんだけれど・・・笑)
かわりに、「みかかわいいね」と同性・異性の先輩から言われるたびに、
「自分を卑下しなくていいのかな~?」
「ブスレベルはいうほどひどくないのかな~?」
「少しだけ自信をもっていいのかな~?」
と思えるまでに心境が変化した。
そんな心境の変化に気づいたのは、社会人生活も7年目を迎えた27歳の頃だ。
当時のわたしから考えたら、世界が変わるほどの進歩だったと思う。
これこそが「人に作られた思い込み」なのかって気づいたのは、さらに年を重ねた今、マインドコーチとして活動している中で、だ。
その思い込み、誰かの影響かも?
いま自分がもってる感情は、誰かの作った思い込みによって発生してることがある。
その誰かとは、自分以外の他人ぜんぶ。
両親、兄弟、親戚、友達、先輩、上司、彼氏、彼女、夫、妻、パートナー、世間、大衆、会社、自分以外の存在ぜんぶが当てはまる。
自分の感情は自分のもの。
そんな貴重な「わたしの感情」を、自分以外の誰かの心ない言葉や価値観に潰されてしまうのはもったいない。この世界でたったひとりしか存在しない自分の感情は、やっぱり世界でひとつしかない。唯一のものなんだから。
その本当の意味に気づいたのは、ここ1年のことだ。
「どっか行けよブース!」
この言葉にどっぷりと浸かり、自分はブスだという思い込みを作ってしまった。他人からの言葉を勝手に思い込んでいた。
でも、もう気づいた。
誰かのつくった思い込みに自分をあてはめなくてもいい。
わたしは結局「美人さん」にはなれなかったけれど、「わたし」だから得られたことや感じられたことはたくさんある。
誰かの作った思い込みを自分の中にもち続けるより、自分の中の「わたし」をもち続けた方が幸せを感じやすい。そこに気づいただけで、だいぶ生きやすくなった。