マインドセット(心の整え方)

お金はすぐなくなる。使っちゃいけない。わたしのお金に対する価値観が変わった理由

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コノリー美香の自己紹介


わたしはずっと、お金は無くなるものだと思ってた。

幼いころからお金に苦労してきた厳格な父は、お金に厳しい人だった。

比較的裕福な家庭で育った母は後先なんて考えずに散財していたタイプだったけど、父の起業と自分が作った借金の返済が回らなくなってからは、ことあるごとに「もったいない」という言葉が口ぐせになっていた。

今思えばその「もったいない」という口ぐせは、父からの影響じゃないかと思う。

そんな家庭環境の中で育ってきたわたしは、いつしか「お金はなくなるもの」「お金は使っちゃいけない」というイメージをもっていた。

そんなモノ買って・・・。
また金か。

こう言われるたびに責められた気分になったし、逆にわたしの原動力にもなったようにも思う。

早くこの家から出たい。
早く自分で稼いで自立したい。
早く大人になりたい。

早く、早く。

そんな思いでかけぬけてきた思春期を過ぎ、わたしが家を出たのは22歳のときだった。

経済的・生活的に自立してからは、息苦しかった自宅での生活とは違う自由な空間・違うお金の流れを実感することになる。

お金を大事にしてたのに満たされない

わたしは堅実な方だったと思う。

家庭の教育もあって、豪遊するわけでもギャンブルをするわけでもなかったし、毎月のお給料でやり繰りできる範囲のことしか行動しなかったしできなかった。

ボーナスは基本的に貯金。数万円の端数を残してキリのいい数字はぜんぶ銀行へ入れた。残した数万円で半年間のご褒美を味わい、欲しかった洋服や靴、バッグ、エステなどの美容に費やした。

本や映画が嫌いな父からはそれらの良さをまったく耳にしたことがなかったけれど、大人になってから自己啓発書・ビジネス書・小説などの書籍の楽しさを発見した。

映画も定期的に観にいくようになった。

オフィスが東京・銀座にうつってからは、歩いて10分もしない隣駅の有楽町で仕事後のごほうびとして映画を楽しんだりもした。もちろん水曜のレディースデイを狙って。

自分の生活をじぶんでまかない、毎月の出費はぜんぶコントロールした。

でも、なぜか満たされていなかった。

毎月のやりくりはギリギリでとても余裕のある状態ではなかったし、つねに「お金がない」「お金がなくなる」という焦燥感にもおそわれていた。

いま思えば、「あんな状態でよくやってたな・・・」と自分でじぶんを心配するくらい危なっかしい。

そんな生活は31歳までつづいてた。

わたしは一度、結婚していた時期もあったんだけど、その結婚生活中でさえわたしの経済的余裕はかわらなかった。

一人暮らししていたときと同じ額の支出を、結婚生活中にも費やした。

相手は貯金どころか借金が数百万円あった人。同年代よりもお給料はもらっていたけれど、支出・支払いで毎月湯水のようにお金は流れていったし、なにより彼自身がわたしのお給料からの支払いを期待していた人だった。

一緒に住んでいるしわたしの家でもあるわけなので、支払うことには何とも思わなかったしあたり前とさえ思った。ただ、一人暮らしで払っていた総支出とまったく同じ額が毎月出ていってたので、金銭的な余裕には一切つながらなかっただけだ。

そしてこれも「いま思えば・・・」なんだけど、きっと彼にも「お金に対する価値観」にクセがあったのだろう。

お金と人生を繋ぐ、新しい価値観

こんな具合に、わたしがもっていた「お金のイメージ」は決して明るいものではなかった。

それが、今の夫と出会い、スペイン・フランスで暮らすようになり、インターナショナルな義理家族に囲まれ、現地で生活するようになってから、わたしのお金に対する価値観、しいては人生についての価値観が変わっていった。

まず、お金と人生の関連性がちがう

人が生きていくのにお金は必要。生活していく上での住居・食事は必要不可欠だし、それを得るためにお金は必要になる。

けれど、その「お金」と「生き方」のつながりが、日本でわたしが生活していたときのような切迫感でないことに気づいた。

夫には人生の半分を毎日のように過ごしてきた親友たちが6人いる。彼らは友達・親友を超えたレベルの関係性で、彼らは自分たちのことを「家族」と表現してる。

そんな家族同然の親友くんたちの中に、無職でお金のない人が2人いた。スペインの超不景気のあおりを受け、仕事がなくなって解雇されたという裏事情だ。

わたしがその無職の子の立場だったら、お金がないなかで友人たちと出かけたりパーティー(クラブで飲み・踊りを夜通しすることの総称)で遊びまくるなんて気が引けてできないし、お金がないからそもそもそんな遊びはできない。

そんな状況にもかかわらず、この親友くんたちの結束はかたい。

仕事をもっていたり金銭的余裕のある子がお金のない子を援助する。その日の飲み代を肩がわりしてあげたり、その子以外のみんなで出しあってあげる。

最初の一度や二度かと思いきや彼の無職は長いこと続いて、わたしが知る限りで2年だったかな。その間、毎週末のようにくり広げられるディナーまたはパーティーをまわりの友人が毎回サポートしてた。

週末のイベント以外にも、2・3日に一度は顔をあわせている。そんなときも飲み物代・おやつ代などはまわりの子が出しているいった具合だ。

「毎回はさすがに甘やかしすぎじゃない?」
「それに甘えて彼は仕事を見つけようとしないんじゃないの?」

そう思ったのが本音。

で、こっそり夫に聞いたことがある。

「僕たちは家族だから」
「じぶんの親が同じ状況だったらサポートするでしょ?」

夫がためらいもなくあたり前のように返答してきたこの言葉に、わたしの中になかった新しいお金の価値観が生まれてきた。

お金は大切な人、楽しいこと、うれしい時間に使う

お金は、大切な人を幸せにするために使う

夫の価値観はこれまたご両親から受けついだものだと思う。わたしが父や母から影響されたように、彼もまた彼のご両親から影響を受けていたのだ。

夫のご両親も、家族のためなら喜んでお金を使う。いや、家族だけじゃなくて彼らが「大切」だと思った人みんなにだ。

それと、もうひとつ気づいたことがある。

自分たち(家族)が楽しめること、うれしくなること、幸せになること、学べること、役に立つこと、すべてに喜んでお金を払っている。

払うときも「お金がなくなる」というマイナスイメージはまったく感じられず、喜んで支払っているようにわたしには見えた。

(家族が)楽しめる時間を買った。
(家族が)うれしくなることを買った。
(家族が)幸せを感じるその瞬間の対価として、お金を払っている。

そう、わたしには映った。

そんな夫や義理家族、現地生活で知り合ったスペイン人と接していくうちに、わたしの凝り固まった「お金=なくなる」「お金=使っちゃいけない」というお金に対するマイナスイメージは薄れていった。

お金を使えば、お財布にあった紙切れやコインはたしかに手元からはなくなる。

けれど、それは「無くなった」のではなくて形を変えてわたしたちの手元に戻ってきている。物質的に購入したその「モノ」自体かもしれないし、将来役に立つ「じぶんへの投資」かもしれない。

一見すると「なくなった」ように見えるお金は、わたしたちに「楽しさ」「うれしさ」「幸せ」はたまた「じぶんの将来」となって手元に残ったままなのだ。

ポジティブイメージがお金を入りやすくする

そんな風に考えたこと、過去のわたしにはなかった。

「お金はすぐになくなってしまう」から「お金は使っちゃいけない」と、できるかぎりのガマンをしてきた。

でも、お金に対するマイナスの価値観よりもポジティブな価値観で接している方が、お金を支払うときも気もちいいし、大切な人が楽しんだりうれしそうにしてる姿を本心から喜べる

お金に対するイメージがポジティブになったら、お金を使うことにマイナスな感情をいだかなくなった。マイナス感情がなくなったらお金が入りやすくなった。

お金も人間とおなじように、嫌われている相手よりも好かれてる相手に近づきたいんだな。今ではそう感じられるようになった。

過去のわたしから考えたら大きな大きな進歩だし、信じられないことだと思う。

この変化を起こしたのは誰でもない自分自身。

自分の中にかすかにあったお金のポジティブイメージに意識を向けたから気づけたことでもある。そのきっかけが夫・義理両親・スペイン生活であったとしても。

ってことを、コーチングセッション後にふと思いだした。

ABOUT ME
Mika Connolly
コノリー美香。海外認定コーチ。2020年東京オリンピック出場候補(女子陸上)選手メンタルサポートコーチ。キャリア・ライフサイクルの変化にも上向きに人生をシフトして、自分らしく生きたい女性の自己実現をサポートしています。クライアントは世界14ヶ国在住。/ ▼無料メールレター
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