
こんにちは、Mikaです。
わたしらしくって何だろう…?
好きなことをするってどういう状態だろう…?
ずっとずっとわからなかった。
相手に求められて、それに応えたらものすごく喜んでくれて。その喜んだ顔がとてもうれしいし、また求められたら同じように返す。それが条件反射のようになっていたから。
わたしはずっと誰かが決めた価値観にそって生きていました。
友達が喜んでくれるからその役割をキープしたし、つきあっていた彼が好きな髪型や洋服にもあわせたし、○○が好きといわれたらそれを好むようにもしていた。
「自分がない」といわれたらそれまでなのだけど、「相手が喜んでくれること」が第一優先で、「じぶんが喜んでくれること」は二の次三の次といつも後回しだった。喜んでくれた顔が純粋にうれしかったし、じぶんの価値をそこで感じていて。
そんなことを思い出したのは、2通のメールがきっかけでした。
クライアントさんからいただいた相談のメール。「1通じゃ書ききれなかった」と、つづきを分けて2通で送ってくれて。わたしはそのメールを受け取って、心の底からうれしかった。
そのままでいい
じぶんでいうのもちょっと照れますが、わたしはよく深刻な相談をされます。
簡単なアドバイスですむようなレベルをとっくに超えていて、じぶんの心の深い部分にある痛みを打ちあけてくださる相談がだんぜん多いです。
このブログのお問い合わせからだったり、SNSだったり、直接会ったり、カタチはさまざま。今回のようにクライアントさんから個別にいただくこともあります。
「じぶんらしくいる」ってなんですか?
「わがままになる」ってどういうことですか?
そんなことして嫌われないんですか?
ごめんね、ごめんね、ってなんどもじぶんに謝って、わたしはどうすればいいんですか?わたし、なにか悪いことしたのかな…
少しだけ引用させていただきましたが、わたしもず~っとこの想いと戦ってきて、痛いほどわかりすぎて読みながら涙がでてきました。
わたしから言えることって、とても限られます。
生半可なアドバイスが意味をなさないのはわたし自身がいちばんよくわかっているから。
- 同情してほしいんじゃない。
- かわいそうと慰めてほしいんじゃない。
- やさしくしてほしいんでもない。
- ただ、この想いから解放されたい、解決したい。
- でもどうしたらいいかわからなくて苦しくて、、
- でもこのまま飲みこまれてしまうのはいやだ・・・!
- 前を向くために、この想いをぜんぶはき出したい…!
そんな風に思っていました。
それがじぶんのことのように感じるから、表面的なアドバイスや一時の同情心がなにも意味をなさないことはわかってる。だから、わたしが言えることってほんとうに限られます。
そんな中でも一言だけ。
わたしはいつも「そのままでいい」とお伝えしていて。
ただ受け止める
どんなに痛みを共有しても、その痛みを感じられるのはその人でしかなくて。
同じように、前を向けるのも、一歩踏み出せるのも、考えを変えるのも、ぜんぶその人にしかできません。
たとえわたしがその人にとって良いことを言ったとしても、その人に聞こえていなければ届いてないも同然だし、聞こえていてもその人が自分で変わろうと「決意」し「行動」しなければ何もなかったことと同じです。
それもまたよくわかっているからこそ、手を差し伸べられることは少なくて。
だからこそ、自分で乗り越えてもらうしかありません。冷たいようだけど、わたしにできることってほんとにほんとに少ないんです。
少ないながら、わたしはいつも「そのままを受け止める」ことからはじめてもらうようにお伝えしています。
ただただ、自分を受け止める。
いまの自分も、過去の自分も、ダメなところがいっぱいある自分も、良いところがいっぱいある自分も、悔しい自分も、苦しい自分も、楽しい自分も、うれしい自分も、愛されてる自分も、愛してる自分も、ぜーーーーーーーんぶ。
どの自分もあなたの一部で、そこに優劣はなくて。
短所は長所のうらがえしでもあって、そのこと・もの自体をどの方向から見ているか?だけなんですよね。
だから、どんな状態のじぶんもあなたの一部。
恥じらうことも、傲慢になる必要もなくて、ただただあなたを構成してる一部だってこと。
じぶんに素直になる
『わがままになって嫌われないんですか?』
メールにはそう書かれていました。どこへもいけなかったやるせない思いが強く放たれたような、そんな印象を受けました。
わがままになるって、怖いんですよね。
じぶんの気もちをさらすって、裸になるよりはずかしい。そして、難しい。
洋服を一枚ずつぬいでいけば、からだは全裸になります。でも、心は物理的な何かを脱げせない。だからむずかしい。
ココロをはだかにするってどういうこと?
じぶんに素直になることです。
素直になるってどういうこと? わたし、むかしから素直だけどなぁ。
じぶんの気もちを尊重することです。
気もちを尊重する? どうやって・・・?
大切なひとを思いやるのと同じように、じぶんを思いやることです。
大切なひとが○○してほしいって言ってたらほうっておけないように、自分のこころの奥が○○したいって言ってたら、その想いを尊重してあげることです。
ありふれた言葉でいうなら、「こころの声を聞く」ことです。
ちいさな声に耳をすます
いままでの考え方がおおきくジャマしてくるかもしれません。
その障害をくぐりぬけた人だけが、いばらで茂る道から視界を広げ、まだない道をひらいていける。
まだない道は、あなたの未来。
いばらの茂みは、こころの中。
どうやってくぐりぬけようか・・・?
それをいっしょに探すことは、わたしにもできます。
その森のなかはどんな暗さで、どこにどんな茨がある?どんな光がみえていて、どの光をたどっていけばいいかな。
あなたがほんとうに手にしたいこと、もの、じぶん、環境、未来。すべてはあなたの心だけが握ってる秘密の部屋にかくされてます。
しっかりとロックされた秘密の部屋はみえる。
扉をあける鍵はどこだろう?
いろんな鍵をかたっぱしからためしてたった1つの本物をみつけるように、じぶんのこころによく耳をかたむけて、聞こえる声を1つずつためしてみる。
はじめはちいさなちいさな声かもしれないけれど、耳をすましていると必ず聞こえてくるはず。
じぶんのこころに耳をすまして、ちいさな声をひろって、じぶんの気もちを尊重してあげるところから。