
「諦めたらそこでおしまい」「夢を諦めない」
って、よく耳にする言葉ですよね。
どちらも「頑張ろう」という気持ちが強いときには背中を押してくれる言葉です。分かってはいるけれど、その「がんばる」ができない時には目ざとい言葉でもありました。私には。
頑張れば、諦めなければ夢は叶う。
なんて、ただの綺麗事じゃん・・・と、心が荒んでる時はそう思っていたり。
でも、そんな斜にかまえていた私にさえ、諦めずに続けていたら奇跡が起こり、今はその奇跡の中で生活をし、それが私の生活の「当たり前」となりました。
そう、一番大事だったのは「続けること」だったんです。
目次
大事なのは「頑張る」じゃなく「続ける」ことだった
今思い返せば、大事なのは「頑張る」じゃなくて「続ける」ことだったんだと思います。
どんなに小さなことでも、コツコツと続けて積み上げていくからこそ基盤ができてその先が見えてくる。勉強でもスポーツでも仕事でも何でもそうなのかもしれません。
「才能」は逃げの言葉じゃない
私には勉強や運動の才能は一つもありません。
勉強:学年テストはいつも中盤。290人いる学年で156番とか。
運動:運動会の50m走などでは、6人中だいたい4位。
自分で書いておいてなんですが、微妙・・・。
特に何かが得意なわけでも苦手なわけでもなく、だいたいのことはだいたい普通にこなせるけれど際立った色がない。特徴も個性もなく、至ってフツー。そんな私には才能を持ち合わせてる人には到底かないません。
これを言うと「才能は努力の結果があってこそだ」という意見もあるかと思います。
たしかに、才能は努力によってより開花されることはありますし、天才だと言われてる人も努力あってこその結果だというのは理解しています。その部分は十分に尊敬していますし、見習いたいところです。
「才能」は「得意なこと」であって個性のひとつ
では、才能という言葉ではなく「得意なこと」と表現するとどうでしょう?
どんなに苦手なことでも、とてつもない努力を継続すれば普通レベルまでにはあげられるんじゃないかと思います。時間も労力もストレスも最大限かけて。でも、もともとそれを得意としている人が同じだけの努力をしたら・・・?
もともと得意(好き)なことだからそれに対する基盤がある(好きなことは興味があるから色々と調べてたりしてベースができてる)し、好きな時点でそのことに取り組む気持ちは前向きだから、努力をするのも苦にならなくないですか?しかも、そこの伸びしろは大きい。
その「得意なこと」「好きなこと」って誰もが持ってる「個性」の一つじゃないかと私は思っています。特別な才能でなくとも、私はこれが得意っていうのは才能のうちではないのかな・・・と。
取り柄のない私でも、好きだから挑戦してみたかった
30歳の誕生日を迎えたとき、区切りのいいこの数字を思い出深いものにするために「今までやりたくてもできなかったこと」に挑戦することにしました。
私には思春期の頃から海外への憧れがありました。その憧れがより強いイメージとなったきっかけは高校三年の選択授業、英会話でした。
先生はアメリカからのネイティブで英語のみ。勉強ができない私なのに先生の言っていることはなぜだか理解できて、そんな自分自信がとてもうれしかったのを覚えています。これが大きなきっかけとなり「世界中の人と話してみたい」と思うようになりました。
とはいえ、文法はめっきり苦手だった私の英語力なんて中学一年生レベルがいいところ。こんな大きいこと言ったら笑われてしまうような恥ずかしいレベルでした。
だから人には言わず「一人キャンペーン」的なノリで、ひとりでこっそりと始めたんです。
「やめない」を続けていたら奇跡が起きた
中学一年生レベルの単語を復習することから始めた私は、長〜い道のりを辿ります。
勉強ができない私にとって、英語の文法って眠くなるおまじないみたいなものでしたから。途中くじけながらも自分でできることを地道に少しずつ、亀のようなのろさだけどやめないで続けていきました。
数年後、目指したい姿に近づくために仕事も変えました。プライベートでは英語ネイティブの外国人と友達になったりと、自然に出会う人が変わっていきました。
自分が変われば環境が変わる
よく言われていることだとは思いますが、「自分が変われば環境が変わる」って本当なんですね。前職の企業スローガンも言葉は違うけれど同じ意味を持っていて、諦めそうになった時はよくその言葉を思い出していました。
そんなことを続けていくうちに偶然いまの夫と出会いました。それがきっかけで私の人生に奇跡が起き、昔からの夢だった海外、旅行ではなく海外生活が現実のものとなったのです。
相手に与えられた機会だといわれればそれまでなんですが、自分の力で勝ち取ったものではないけれど、そういう環境を自分で作りだしたからこその出来事だったのかなって、今では思います。
諦めそうになってもやめない
語学の勉強って終わりがないんですよね。何度も諦めそうになったし、やる気が起きなかったこともしょっちゅう。スランプもいっぱいあったし今でも文法は苦手です。
でも、諦めそうなときにやめないでよかった。そこだけは昔の自分を褒めてあげたいです。
やる気がないときは無理してやらなくてもいい、と私は思います。無理してやっても頭に入らないし、そもそも無理をすることで目標としていることが嫌になったら意味がありませんから。
それでも、どんなに小さなことでもやめないことが大事なんだと思います。
やる気がない時は自分への逃げ道も大事
誰にだってやる気が出ない日はあります。きっと天才と呼ばれている人にも。
そんなとき私は無理に頑張ろうとせず、ぐうたらに続けます。単語帳をパラパラ眺めるだけ、1日1単語覚えるだけ、本を見たくない時は洋楽でリスニングするだけ、字幕なしで映画を見て楽しむだけ、など。
それが頭に入っているかいないかは別として、英語に毎日触れたっていう事実が大事だと私は思います。1日放棄すると次の日も気分が乗らなかったりで結局やらない、すると3日目もやる気が出ず気づくと1週間が経ってる・・・なんてことにならないよう。
あれだけ長い時間をかけて習慣づけたのにやらなくなる時は一瞬で「やらない習慣」ができてしまいます。それを防ぐためにも「頭に入っていなくとも毎日それに触れている」という既成事実?を作ってしまう方が私には合っていました。
勉強はしていないけれど英語には触れていたからいっか!と、やる気を失った自分への逃げ道を作るのも大事だなと思います。その逃げ道が長く続くならどこかで仕切り直さなきゃいけないけど、たまにやる気が出ないっていう日はそれでもいいんじゃないかと。
さいごに
小さなことも続けていれば夢やゴールへ一歩ずつ進んでいるということ。たとえそれがとても小さな一歩であっても、前に、目標に近づいていることを忘れないでいたいなと思います。
この記事が同じように何かに向けてがんばっている人の、ひとときの気晴らしになってくれたならとてもうれしいです。
私はというと、英語を勉強していたのになぜかスペインへ来ることになり、今はゼロからスペイン語を勉強中。これまた長ーい長い道のりになりそうです。