こんにちは、Mikaです。
今日は、わたし自身が感じる「変化と痛み」についてコラム的に書きました。
新しいことへの挑戦も、環境を変えることも、いまの自分から一歩ふみだすときには痛みがともないます。
その痛みはチクっとした瞬間的なものかもしれないし、ずーーーーんと重くのしかかる鈍痛かもしれないし、ズキズキっと鋭い痛みかもしれない。
でも大丈夫。
その痛みはあなたの人生に必要な一部だから。
- 新しいことに挑戦したいけどなかなか一歩が踏み出せない…
- 変わろうと努力してもいつも元に戻っちゃう…
そんな悩みを持ってる方に届いたらいいな。
一歩を踏みだす痛み
どんな痛みにせよ、いまの状況・状態から変わるにはなにかしらの痛み(犠牲)がつきまとう。
そういえば、虫も動物も生まれてくるときには痛みを伴うし、人間の成長過程でもなにかと痛みはつきものだ。身体的にひざや腰に成長痛を覚える人もいる。
さなぎの中で変体・変態して、蝶となって新たな自分に生まれ変わるときも、必ずさなぎから抜け出さなければならない。卵からかえるヒヨコも、弱々しいからだを使って微力ながら殻を割って外へ出る。
そっか、変化に痛みをともなうのは自然の摂理なんだ。
変化・痛み=自然の摂理
そんな風に理解すると、痛みがこわくなくなる。
人は、「痛みを味わいたくないから居心地のいい今の状況に甘んじてとどまろうとする性質がある」と心理学から学んだ。
痛み=イヤだ=いま居心地いい=このままでいいや=変わらない
っていう方程式が、わたしたちの脳の中で勝手に成り立っている。
その一部をムリヤリ(意識的に)変えるのはやっぱり大変で。 気の張ってるあいだはがんばれる。
短期間なら努力できる。
けれど、時間の経過とともに「努力」の濃度がさがってきて、再びまた居心地のよかったあの頃に戻っていく。だって気持ちのいい場所だから。
努力を続けるって、「つづける」こと自体も痛みを伴うし、「行動そのもの」も痛みとなる。痛みのダブルパンチ状態。
ここであきらめて「やっぱりできなかった自分」を責め続けるのはとっても簡単だけど、いや、ちょっと待って、「変化に痛みをともなうのは自然の摂理なんだ」ってわかってるだけで心の持ちようはだいぶ違う。
ってことは、新しい方程式をつくってそれを習慣にしちゃえばいい。
変化の方程式
自分の中の思い込みを「新しい流れ」にすり替えていって、新しい方程式をあなたのデフォルトにしてしまう。
そしたら変わるときの痛みも、暗黙の了解で受け止められるようになる。
あぁ、変わるときのアレでしょ。
ちょっと痛みを感じるやつね。
的な。
- 痛み ⇒ イヤだ ⇒ いま居心地いい ⇒ このままでいいや ⇒ 変わらない
- 痛み ⇒ イヤだ ⇒ 自然の感情 ⇒ 慣れるまでがんばろう ⇒ 習慣になる ⇒ 変化
ここまでくればシメたもんです。痛みを特別視しなくてもすみますもんね。
同じ状況になってもヒョイっと超えられてしまうんじゃないかな。気持ちの面では。 精神的にも体力的にも大打撃を受けることだってあると思います。
でもこれは、大きく変わるための痛みだとわかっていたら超えられる。
その経験がまたひとつ、自分を信じる糧になる。
痛みは人生のミルフィーユ
変化はこわいことじゃない。
それに伴う痛みもこわいことじゃない。
痛みの先には新しい世界が待っている。
これまでとは違う新しい居場所。新しい居心地の良さを感じることだろう。
そしてまた変化とともに居心地の悪さを感じ、さらなる変化に向かっていく。
その積み重ねが人生になる。
人生ってなんだかミルフィーユみたいですね。
薄い皮が何十にも重なって、それらが「味」を生み出してる。
変化も痛みも、なくてはならない「人生のミルフィーユ」の一部。
そっか、わたしはじぶんだけのミルフィーユをつくりあげてる途中なんだ。いろいろアレンジしてわたしだけのミルフィーユをつくればいいんだ。
ケーキ作りはけっこう得意。
いろんな作り方を研究して、自分史上いちばんおいしいミルフィーユをつくろう!そのミルフィーユを大切な人にもおすそ分けしよう!
変化も痛みもこわくない。
むしろ人生を豊かにする必須アイテムだから、率先して手にしよう。
そう思えたら無敵な人生のはじまり…♡