自己紹介

Author: mika

2011年よりヨーロッパ在住。

本拠地はスペイン。海外生活のうち約2年をフランスで過ごす。
現在は南フランスのコートダジュール地方、ニース在住。

詳しい自己紹介は、次からどうぞ!

憧れだった海外生活の今

わたしは現在、夢に描いていたヨーロッパでの生活の中にいます。

思えば小学生の頃から「青い目をしたハーフの子どもが欲しい」と、ことあるごとにそう言っていました。その夢は小中高・短大・社会人になっても持ち続けたままでした。

今考えればミーハーな宣言なんですが、若さですかね。笑

そして、高校の選択授業で取った「英会話」のクラスでアメリカ人ネイティブの先生と接したり英語を聞くのが好きになったことをきっかに、社会人になってからも外国人とコミュニケーションしたいという思いは強く残っていました。

英語というツールを使って世界中の人と話したい。そう思っていましたし、今でも変わらずそう思っています。

英語を母国語として話す国はいくつもあります。その中でも特に惹かれたのはイギリス。いつかヨーロッパ現地で、英語を使って仕事がしたい。そう思うようになっていきました。

それが今、夢に見ていたヨーロッパに住めています。最愛であり、最強のパートナーだと思える夫もいます。

夫と出会う前のわたしはボロボロで、人生のどん底にでもいるんじゃないかと思っていた分、今でも時折「この幸せが夢なんじゃないか?」と思ったりします。

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夫と出会ってから7年。もう1年、また1年と、2人で年を重ねていきたい。そう思える相手に巡り合えた偶然に今でも感謝してます。

友達に恵まれなかった幼少期~高校時代

スペインとフランスを行き来しながら住むわたしを見て、「華やかでいいな~」と思う人もいるようです。

うれしいようなくすぐったいような気はしますが、でもそれは写真の効果ですね。実際のわたしは華やかとは真逆のネガティブ要素が抜けないタイプ。

大人になって仕事を通じて自分の価値や評価を得られるようにはなったけれど、幼少期から高校卒業まで長~く続いた暗闇が記憶がほとどんです。

当時はただただ苦しかった。

自分を変えたいけどどうやって変えていいかわからない。本当の友達はいない。親にも相談できない。自分は必要とされていない無価値な人間なんだと、本気で、本心で思っていました。

仲間はずれが当たり前な幼少期~小学生

わたしの中で一番幼い記憶は幼稚園での出来事です。

断片的にいくつかのシーンしか覚えていないのですが、その中でも強烈なイメージとして残っている場面があります。それが意地悪をされている瞬間でした。

女の子2人がわたしの前に仁王立ちしていて、何か文句を言ってる。言われた内容はさすがに覚えていないけれど、その時の風景と感情は覚えている。「この子たちなんでそんなに怒ってるの?」と、イマイチしっくりこない空気感でした。

その後、小学4年生くらいまではひっそりと穏便に過ごしていました。成績は中の中でしたが、音楽だけは良かった。歌を歌うことが好きで、それまで褒められることなんてほとんどなかったのに、歌うときだけは褒められたのがうれしかったな。

そんな毎日を過ごしていたわたしに雲行きが怪しくなったのは、小学5年生の頃からです。

5年生ともなれば、いろんなことを吸収し理解しはじめます。大人への階段をのぼりはじめる多感な時期ですよね。〇〇ちゃんがかわいい、〇〇くんがかっこいい、クラスの中で誰が好き?とか恋愛の話しにも興味津々になりはじめます。

それと同時に、誰かを妬んだり、イジメたり、村八分的ないじめもエスカレートしていきます。そしてある日突然、ほんとに突然、わたしはターゲットになりました。それから学校内ではシカト・仲間はずれが繰り返されました。

これといって楽しい思い出のない小学時代のわたしを一言で表すと、「バスの席順決めで余りかけるタイプ」です。

運動会・遠足・修学旅行など、仲のいい友達同士でペアを組んだり、バスの席順を決めたり、部屋決めしたりしたことありましたよね?

そのとき仲のいい友達(だと思っていた)にはペアを組む相手がいて、あれよこれよという間にまわりの子もペアを組んでいく。気づけば余りかけになる寸前。そんな感じのパッとしない目立たない子でした。

そして、王道ともいえる女子の行動「一緒にトイレ行こう~!」が理解できず女子の輪に馴染めないタイプでもありました。

人間不信になった中学時代

公立の中学へ進学し、学年の半数は同じ小学校からの顔ぶれでした。

中学生になり「心新たに出発!」と思いきや、そうでもないことを早々に知ることとなります。

クラスが一緒で同じ小学校出身、部活も同じで近所に住んでいた女の子と、自然に毎朝登下校するようになりました。

彼女は寝坊することが多く、迎えに行っては待たされる日々でしたが、それでも何も言わずに毎日迎えに行きました。

ところが、歯の治療(ちょっとした手術)でわたしが3~4日ほど休んだ後、いつものように迎えに行ったら「え?なんで来たの?」的な、明らかに迷惑してる顔。

彼女の口から聞いた言葉は、「お母さんにmikaちゃんと一緒に行ってあげなさいって言われたから今までは仕方なく登校してた」と、予想していなかった言葉を聞くことになりました。

これから中学生活が始まるところなのに、もう?と思ったのが正直なところです。

「友達だと思っていても人はわからないんだな」

小学生からの経験で薄々は感じていたけれど、この時の出来事でそう確信しました。

その後の中学の記憶を辿っても、意地悪されたことの方が多く思い出されます。仲間はずれにされて一人でお弁当を広げたことも、一度や二度じゃありません。

中三の夏を過ぎたころ、部活の同学年全員の女子から体育館へ呼び出され「やる気ないなら辞めて」と、集団リンチ的な状況もありました。

話しを切り出した彼女の顔、そうだそうだ!と続く彼女たちの顔もやっぱり忘れられません。

「友達だと思っていた子も裏では悪口を言っている」
「自分の価値なんて何一つない」

幼少期からの積み重ねで、そう感じるには十分な経験と毎日がそこにはありました。

友達の意味を失った高校時代

高校へ上がると、全く新しい環境になりました。小中と同じ時を過ごした子たちはほぼいません。

家庭の事情で公立高校一発受験・100%合格を余儀なくされていたわたしは、高校受験にチャレンジすることなく超安全圏の学校を選びました。

これが結果的に、高校でのわたしのポジションを「優等生」にしてくれました。

中学時代はどう頑張っても学年の真ん中。お世辞にも頭がいいとはいえず、かといって運動が得意なわけでもない、可もなく不可もなくな目立たない子でした。

そんな私が、授業の内容はついていける。テスト前に集中して復習すれば満点に近い成績が取れる。自分では意図していなかった「優等生」の各韻を押されることになったのです。

でも、この高校時代でも交友関係で愕然としました。

卒業まであと半年かと思えたころ、高校三年間で一番仲良くしていた子に「利用されていただけ」ということを知り、言葉を失いました。

彼女がそう話している場に居合わせた子が、わたしに教えてくれたのです。

その理由は明確で、「学年2位だったわたしから勉強を教えてもらうことでテスト対策をしていた」というもの。テスト勉強用にわたしのノートを大量コピーし、わたしと一緒に勉強し、家庭教師のかわり使っていたんだそうです。

人を利用するなら利用するでもいいけど、せめて卒業までの半年間、それは隠してほしかったな・・・。正直にそう思いました。

毎日一緒に登校し、悩みを話しあったりもした一番仲のいい友達だと思ってた・・・。

信用していても結局は裏切られて傷つくのは自分なんだ。本気でそう思いました。

「そんなことない人を信じろ!」と言われても難しいくらい、幼少期~高校卒業までわたしの中には暗い実体験が積み重なりすぎていました。

ただ、1つだけいいこともありました。

高成績が幸いし、その高校では過去に例をみない進学を果たすことができました。進学実績の少なかった公立の短大へ進むことができたのです。

長い闇の中に見えた1つの光

なんだか暗い話しが続いてしまいましたが、ここでちょっとした転機が訪れました。

短大に入ってから出会った新しい友達のおかげで、人間不信になっていたわたしに1つの光が現れたのです。

初めてできた信頼できる友達、学生時代では感じられなかった仕事を通じての成長と充実感。わたしの人生は完全に遅咲きです。

初めてできた本当の友達

短大にあがり、新しい友達に出会いました。

彼女たちとの出会いは、今まで経験した友達関係を覆すほど衝撃的なもので、はじめて「信頼できる友達」ができました。

短大に進学して間もないある日、いつものようにたわいもない話をしていたときです。友人の1人がこう言ってくれました。

「もっといろんなこと話してくれていいよ。私たちもmikaのこともっと知りたいから」って。

他の友人たちも「うんうん、そうだよ。もっといろいろ話してね」って続けてくれて、この一言が泣きそうになるほどうれしかった。

今まで必要とされてこなかったわたしのことをもっと知りたいって言ってくれてる。わたしのことをもっと聞かせてって言ってくれてる。その時の湧き上がる感情は今でも忘れていません。

あまりの感動に一瞬言葉を失い、それと同時に「あ、この子たちは信用していいんだ」と頭ではなく心で理解したのを覚えています。

それからの短大生活は多くの時間を彼女たちと過ごしました。

休み時間、放課後、土日、夜遊び、いっぱい話してたくさん笑いました。短大なんてたったの2年。長い人生の中では短い時間だけれど、青春時代の2年はとても濃かったなと思います。

わたしの人生を変えてくれた友達との出会い。誰かに必要とされている感覚が恥ずかしくも心地よくもあったのを覚えています。

自分の成長と働き方を模索した社会人時代

短大を卒業するとき、わたしは就職活動をしませんでした。

短大での専攻は専門学科。それ自体を学ぶことは好きだったのですが、やりたい方向性と当時求められていた職業とに大きなギャップがあって、気が進まなかったのです。

そこで、わたしは短大時代からやっていた紹介派遣のバイトを続けることにしました。週5日、1ヶ月で24万円程度。交通費を差し引いても手元に22万円ほど残ります。

そんな生活を4ヶ月ほど続けていた21歳の8月、ある求人広告に出会いました。

この広告がきっかけで、その後の人生を大きく変えることとなります。気づいたらトータルで10年勤めました。

入社当時のわたしは(ほぼ)新卒扱いでした。

業界未経験どころかオフィス勤務さえない。パソコンは電源押すのが精いっぱい。そんな何もかも未経験なわたしが採用されたことに驚きは隠せませんでしたが、何にも染まっていない状態だから伸びしろはたっぷりあったんだと思います。

その後、上司や先輩たちのおかげで、自分でもはっきりとわかるくらいめきめきと成長していきました。(自分で言うなって感じなんですけどそのくらい成長感がありました)

仕事をするのは楽しかった。自分のやったことが直接自分の評価になって返ってくる。相手の意図を汲み取って頼まれた以上のもので返す。これは私のモットーでもあり、今も変わらず心に留めています。

相手の立場になり求められているもの以上で返す。これを意識して仕事にあたっていたら知らず知らずのうちに信頼され、評価され、いろんなことを任せてもらえるようになりました。

そうするといいスパイラルに巻かれるんですよね。

さらに責任ある仕事を任せてもらえるようになり、その分気持ちも引き締まる。すると輪にかけて成果以上のもので返そうとする。これが良かったのか、本当にたくさんのことを任せてもらえ、勉強させてもらいました。

当時学んだことは今でも忘れていません。時を超えても、住む国が変わっても、あのとき言われたこと・学んだことが今も生きています。

ビジネス案を考えるにしても、マーケティングを考えるにしても、数字の分析をするにしても、スケジューリングにしても、相手を思いやる大事さや仕事に向かう姿勢はどれも、当時学んだことに繋がっていました。

もちろん、悩んだり壁にぶつかることは数えきれないくらいたくさんありました。苦しい思いもたくさんしたし、悔しくて泣いたこともある。けど、仕事は本当に楽しかった。成長と充実を味わった10年だったと思っています。

そして、幼少期から感じていた「自分の価値のなさ」と「人間不信」は、わたし自身の成長と仕事の評価とともに、少しずつ弱まっていきました。

ただこれだけ、

「これから先の働き方」
「忙しさにかまけて始められなかったこと」

この2つだけが心に引っかかっていました。

心に残っていた夢への挑戦

仕事を通じて自分への自信と存在価値を少しだけ取り戻したものの、30歳を目前にもやもやした思いがわたしの前を塞ぎかけました。

このもやもやは長くて、27歳~30歳までの3年間、絶えずわたしのまわりを取り囲んでいました。

仕事は楽しい。自分の成長も感じられる。上司も先輩も同僚も人に恵まれたいい職場。でも、何かが足りない。その何かってなんだろう?

なかなか答えが出ず、もどかしい日々が3年も続きました。

このまま30代後半・40代になってもこの仕事を続けていけるだろうか。出産・育児をしながら続けていける仕事だろうか、

漠然とした不安と自信の無さが大きなもやとなって目の前を塞いでしまう感覚。得体のしれない大きな何かにまとわりつかれているような感覚は、誰しも一度は経験があるんじゃないでしょうか。

まさに、わたしはその中にいました。

このまま流されて年を取りたくない!と強く思った30歳

はっきりとしないもやもやが続いた3年間。何がこんな風にさせるのかがよくわからないまま時間だけが過ぎていきました。そしてある時「あ、これだ・・・」と確信できたものがありました。

ずっとやりたかったのに忙しさにかまけてできなかったこと。忙しいを言い訳にのばしのばしにしていたこと。挑戦したかったのになぜか一歩が出なかったこと。

「そっか、わたしはこれに挑戦してみたかったんだ。」そう思えたものがありました。

それは、高校時代の選択授業からそのまま続けたかった英語です。

本心は英語が学べる大学に行きたかった。でも、家庭の事情で叶わなかった。たくさん働いてお金を貯めても、一人暮らしの一般OLじゃ毎月の生活をやりくりするのに精いっぱいで、留学費用を捻出するなんて経済的に叶いませんでした。

そう思って毎回諦めてきた。毎回考えては同じ答えにぶち当たって行動できず、忙しさもあって結局そのままになっていた。

でも、今この一歩を踏み出さなければいつ踏み出すんだろう?

これから先の未来では、今この瞬間が一番若い。数年後に振り返って「やっぱりあの時はじめていればよかった」そう思うに違いない。

と自分に言い聞かせ、「やりたかったことを実行する一人キャンペーン」を30歳の誕生日に決めました。「よし、英語を話せるように行動しよう!」そう決意しました。

とはいえ、何から手をつけようか?

海外へ行って勉強することはできない。英会話教室なんて行ってもたかが知れてる。となれば自分の力で何とかするしかない。そう思って独学で、とにかくはじめてみることにしました。

しかし、中高あわせて6年間も勉強したはずの英語なのに、呆れるくらい覚えていない・・・。

そもそも学力の弱いわたしが覚えられていることといえば、今でいう小学生レベルの英語力程度。愕然としながらも中学1年生の英単語・文法・リスニングと、ほぼゼロからスタートしました。

それと同時に、実践しないと意味がないので外国人の友達を作るようにしました。

転機はいきなり訪れた

そんな状態を1年ほど続けたころ、ある変化を感じました。

はちゃめちゃな英語でも伝えようとする意欲が通じるのか、次第に意思の疎通ができるようになってきたのです。

「夢は諦めなければ叶う」って半分信じてなかったけど、続けていたら本当に奇跡が...
特徴も個性もなく至ってフツーな私でも、諦めずに続けていたら奇跡が起こりました。一番大事だったのは「続けること」だったんです。

そして、夢に描いていた理想姿へ近づく一歩として、「英語を使って仕事がしたい」そう強く思うようになりました。

心が決まったら行動なんて早いものですよね。トータルで10年勤めた会社を辞める決意し、未経験業種にチャレンジすることにしました。31歳のことです。

転職を決め晴れて英語を使った職に就くも、慣れない風習やルールなどもあって正直言ってかなり消耗しました。けれど、夢への一歩だと思ったらそれだけで頑張れたんですよね。

それから間もなくしたある日、転機はいきなり訪れました。

英語が話せる友達を作りたかったわたしへ、友達から1人の男性を紹介されました。それが今の夫です。

当時のわたしは32歳、彼は6つも年下の26歳。

彼は日本へ来て3ヶ月を過ぎたばかりで気軽に話せる友達がほしかった。一方のわたしは英語の練習で気軽に英会話できる友達を作りたかった。

お互いそんな状況だったんですが、まさかこういう展開になるとは、出会う1分前には想像もしていませんでした。

当時のわたしの英語力は勉強しはじめに比べたら多少はマシになったかな?という程度。先にも書きましたが文法はめちゃめちゃで、リスニングも聞きとれないことの方が多かった。

英語は話せる言葉しか聞き取れない。まさに、彼とのコミュニケーションの中で体験しました。

独学でもネイティブの英語が聞き取れるようになった1つの学習法
過去の私と同じように「英語を話したいけどうまくいかない」「英語を話している自分にもっと自信を持ちたい」「英語で上手くやり取りできるようになりたい」と真剣に思...

聞き取れるようになった言葉は自分が話せるようになっていたし、聞く・話すが少しずつ少しずつ一体化していきました。

この出会いをきっかけに交際へ発展し、自分の力では行けずじまいだった憧れのヨーロッパへ移住することが現実として目の前に現れました。

実は、わたしは過去に一度結婚していて、31歳のときに別れました。彼に出会う10ヶ月前のことです。

26歳の彼はわたしを好きだと言ってくれてる。でも、過去に結婚していた事実を知ったら気持ちはきっと変わるだろう、そう思っていました。

が、彼は気持ちが変わるどころかより一層わたしを信頼してくれました。そして、あのとき彼に言われた言葉は一生忘れません。

「過去の出来事があるから今のキミなんだよ。過去を知ったらますますキミのことが好きになった」

日本を出る直前に起きた大地震

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ヨーロッパへ初めて来たのは、本格的な移住をはじめる3ヶ月前のクリスマス休暇。義理家族と過ごすクリスマスで、フランスはニースでした。

夢に見たヨーロッパの地、やさしい義理両親、わたしを大事にしてくれる彼(当時はまだ入籍前)に、言葉が出ないくらいひとつひとつに感動し、はしゃいでいました。

その後、スペインへ移住することになります。

未踏の地スペイン。どういうところかな?どんな人たちかな?と、いろんな思いをめぐらせながら、東京にあるマンションを引き払うため、わたしは業者の人たちと作業していました。

そして、「あと半日で出発!」という時にパニックが起こったのです。2011年3月11日に起きた、東日本大震災です。

突然襲ってきた大地震。今まで経験したことのない揺れを体験し、初めて命の危険を感じました。揺れが一瞬やんだその瞬間、業者の人たちと一緒に急いで緊急避難に努めました。

当初の予定では、家の作業が終わったら夜遅い電車で空港入りしようと思っていました。翌早朝フライトのためです。

しかし、状況はそれどころじゃない。フライトどころかその前に死んでしまうかもしれない、本気でそう思いました。そんな思いがよぎった瞬間、国際電話で彼へ連絡していました。

その後、揺れが収まった瞬間に作業中の部屋へ戻り散らばった荷物を軽くまとめ、スーツケースを持って再度非難し、どうやって空港入りしようか考えました。

近くの道路はパニック状態。電車もバスもタクシーも使えない。業者のお兄さんたちは一度事務所へ戻ると言ってる。彼らのオフィスは羽田と方向が同じだから空港まで送ってもらえるかもしれない。

そう思って遠慮がちに、でも他に手段はないので真剣な眼差しで聞いてみました。そしたら二つ返事で了承してくれました。彼らには本当に感謝しています。

そして、軽トラックに3人乗り、パニックと混雑で渋滞の嵐となった一般道を進み、紆余曲折ありながらも無事に空港入りを果たしました。普通なら40分程度で着く道のりが、このときばかりは3時間かかりました。

このお兄さんたちがとてもいい人で、「生死を共にしたお客さん(わたしのこと)のことは一生忘れません!」と、何度も何度も繰り返し、ダメ元で頼んだ羽田への送りも快く引き受けてくれたのです。

普段あまり動じないわたしも、さすがにこの状況で一人だったらパニックに陥ってたと思います。彼らがいてくれて、本当に心強かった。わたしにとっては命の恩人とも言える相手です。(いつかお礼を言いに会いに行きたいと思ってます)

3時間かけてなんとか空港に到着し、翌朝早朝まで8時間待ちました。

ですが、結局この日のフライトは欠航されました。当然ですよね。そして、幸いなことに翌日の便に振り替えてもらうことができ、無事にスペイン入りを果たしたのが翌日の3月12日です。

空港まで夫と義理両親が迎えに来てくれていて、わたしを見つけるなり彼らの安堵した顔と泣き出してしまった義母の姿は忘れられません。

想像とは違う海外生活に塞ぎ込む毎日

いざスペインへ到着して、想定外だったことがあります。

誰も英語を話さない・・・。

もう少し調べていけばよかったのですが、スペイン行きが決まったのは渡航する1ヶ月前。仕事を辞めるのに引き継ぎがあるし、家の引き払いもある。その前に荷物の整理もしなくちゃいけない。目まぐるしい1ヶ月で調べるような余裕も時間もありませんでした。

それに、「ヨーロッパだもんみんな英語くらい話すよね?」と、理由もなくそう思っていました。ドイツやオランダ、北欧の人たちが母国語以外にも英語を流暢に話す姿を見ていたからかもしれません。

それが大きな勘違いだった・・・ということに気づいたのは、スペインに来てから。

わたしたちは日本の教育カリキュラムで中高と英語は必須授業でした。

なので、りんご=Appleなのも知っていたし、オレンジ=Orangeだということも知っています。123の数字はOne Two Threeであることも知っています。

ですがここはスペイン。彼らは母国語であるスペイン語を話します。そして、りんご=Appleではないし、オレンジ=Orangeでもない。123は全然違う聞き覚えのない言葉でした。

この事実を前に、気が遠くなりましたね。

あれだけ時間をかけた英語でさえまだ中級なのに、今から全く別の言語を一から、いや、ゼロからはじめなきゃいけないの?って。

言葉の問題だけではありません。生活習慣、食事、文化、マナーなどの壁も目の前に現れました。そして、日本とは考え方がまるっきり違います。

夫は仕事で多忙だったこともあり、1日の大半をひとりで過ごしました。朝7時~夜21時まで異国の地でひとり。スペイン語ができないわたしの行動範囲は自然と狭まります。

せめて英語圏なら・・・。何度も何度もそう思いました。

お店で何かを聞くことも、ひとりで病院へ行くことも、友達だって作れる。でもスペイン語ができないわたしは、言葉が話せない赤ちゃんと同じ。体も思考も大人なのに、誰かの助けがない何もできない。

自立したいのに自分の力だけじゃ何もできない。日本では働いて稼いで自分の生活は自分で賄ってきたのに・・・。自分の無力さに強い苛立ちは隠せませんでした。

これには本当にこたえましたね。

英語を続けたい気持ちの方が強かったので、当時のわたしにスペイン語なんて覚える気はなかった。スペイン語を聞くのも嫌だからTVはつけないし、いろんなことがマイナスに見えて次第に家から出なくなりました。

人と話すのを避け、外に出るのも億劫で、家に引きこもる日が続きました。そして、とにかく眠かった。寝ても寝てもどれだけ寝ても眠くて、時間があると眠っていました。

そんな軽鬱状態が半年ほど続くと、ネガティブ思考な自分が全面に出てきます。そんな自分も嫌だったし「なんで英語圏じゃないの?」って、繰り返し自問自答していました。

スペイン生活で解放された自分自身

夢にまでみた憧れの海外生活。

今考えると、どんなに素敵なものだろうと想像に想像を膨らませていたのが良くなかったんだと思います。

自分で勝手に「理想の海外生活像」をイメージしておいて想像と現実の大きな違いを前に、自分で勝手に落ち込んでいたんですから・・・。

鬱状態になるほど苦しかったスペイン生活も、スペイン語がわかってくるにつれて人とのコミュニケーションが楽しくなってきました。それが単語レベルであっても。

そして、これと同じくらいのタイミングで、今までガチガチに固まっていた自分自身が少しずつ解放されていく感じがしました。

スペインは、良くも悪くものんびりしていると言われます。

大事な手続きの場面ではそれがデメリットに映りますが、それはスペインに限らずフランスでも同じ。でも、そののんびりさが大きなメリットになるのはスペインのいいところです。

「のんびり」というと「怠けてる」とか「働かない」とかマイナスなイメージを連想させますが、スペインで生活する中でわたしが感じるのは、「のんびり=心に余裕がある」という感覚です。

日本にいたとき、わたしは仕事に打ち込んでいた方だと思います。会社も仕事も職場の人も好きだったので、仕事に没頭すると時間を忘れて取り組みました。朝は7時に出社し、深夜0時の終電まで働いたことも少なくありません。

それでも仕事は楽しかったし、自分の成長がうれしかった。もちろん、仕事と生活のバランスが一番だとは思っていましたが、仕事が楽しいと生活に大きく踏み込んでしまうんですよね、わたしの場合。 

ですが、仕事にしても家族にしても人生観にしても、スペインでの生活から大きな影響を受けたのは言うまでもありません。

先にも触れましたが、わたしは幼少~高校卒業まで交友関係に恵まれませんでした。そして、スペインでもフランスでも一番大事とされる「家族」にも恵まれませんでした。

数年前に母を亡くしましたが、両親はいました。3つ下の妹もいる。家族構成的には悪くないけど、家族関係はお世辞にもいい方ではなかったです。

それもあって、家族・友達・働き方・人生観など、昔のわたしはいろいろと偏ったところがありました。その反動なのか、自分の中で「こうありたい」という夢に近い理想が高くなっていったんですよね。

でも、その高い理想がここスペインにはありました。

同調を超えて人と同じでなければならないことを良しとされる(出る杭は打たれる)日本より、個を受けて止めてくれるスペインの感覚の方がわたしには合っていました。

苦しかった始めのスペイン生活では見えなかった部分。旅行だけでは絶対に気づけない部分。

長く生活をしていくほど、「わたしという存在を受け止めてもらえる喜び」を感じ、肩の力を抜いて生きられる。そんな感覚を覚えました。

スペインを起点に、これからやりたいこと

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未経験で入社し社会の一員となった新入社員時代、自分の成長と数々の壁に一喜一憂した社会人時代、やりたいことに踏み出させなかったアラサー時代、長い暗闇だった学生時代があったことで、たくさんのことを経験しました。

友達の輪に入りたいのにうまく入れず輪の外でタイミングを待っている人の気持ちはよくわかりますし、どんなに頑張ってもなかなか成果に繋がらず悔し泣きをする人の気持ちも痛いほどわかります。

そして、気になってるのになかなか挑戦できず最初の一歩が出ない人の気持ちも自分のことのようにわかります。

そんな「ためらっていて一歩が出ない人」へ手を差し伸べられることがしたい。昔のわたしのように、「自分を変えたい!」ともがいてる人の背中をそっと押してあげたい。いつからかそう思うようになりました。

わたしの本拠地はスペイン。たまにフランスへ帰省します。

「場所を限らずわたしのいる地から発信できることは何だろう?」そう考えた時に、等身大の海外情報を届けることではないかな?と思いました。

巷にはたくさんの海外情報が出ています。

でもその多くは一部のいいところしか見せていない。キラキラした夢のようなヨーロッパ生活だけを紹介しているケースも少なくありません。

そうではなくて海外生活のリアル、等身大の海外情報を届けていくことで、これから挑戦したい人の判断材料のひとつとして参考にしてほしい。

決めるのは紛れもなく自分自身でしかないんだけれど、決めるための判断軸として参考にしてもらえたら。そういう思いを込めて、ブログという場で情報発信することにしました。

「自分を変えたい!」「やってみたい!」と思っていることは、仕事や留学みたいに大きなものとは限りません。

たった1週間の旅行かもしれないし、外国人の友達を作ることかもしれない。目標としたいことは人それぞれです。

あなたの決意はあなただけのもの。そして、行動するのもあなた自身。

どんな小さな決意も、行動に移さなければ何も変わりません。そのための情報収集にわたしの発信していることが役に立ってくれたなら、ひとつのきっかけとなってくれたなら、こんなにうれしいことはありません。

「チャンスは自分で作るもの」

自分の決意でこのチャンスを作り、チャンスによって環境が変わり、そして自分も変わっていく。

そんなきっかけ作りになってもらえるための情報を、スペイン・フランスから届けられたらいいなと思っています。

《わたしはこんな人》
教育ブロガーRyotaさんからご紹介いただきました。
スペイン在住mikaさんの生き方から夢の叶え方を学ぼう

スペイン在住mikaさんの生き方から夢の叶え方を学ぼう - Ryotaの教育勅語
どーも、Ryotaです。(@RyotasannNo) 人生は一度きり!!自分の夢を叶えたい! こんなことを考えている人は多いはず。 でも、自分の夢をどうやって叶えたらいいのかが分...

海外在住ブロガー向け オンラインサロン運営してます

そして、ブログと並行して「海外在住のブロガーさんのためのオンラインサロン」の運営もはじめました。

各国に散らばる海外在住ブロガーさんが、居住国関係なく世界を横断してコミュニケーションが取れる場があったらいいな・・・。

これが、オンラインサロンをはじめることになったきっかけです。

海外在住ブロガー向けの世界横断コミュニティを作りました!
こんにちは、mika( @europe_life15)です。今日はお知らせがあります。このたび、「海外在住ブロガー情報交換の場」というオンラインサロンを立ち上げました。趣旨はそ...

そして、サロン開設後3日もしないうちにたくさんの方から参加希望をいただくこととなりました。本当にありがとうございます。

海外在住ブロガーって、けっこう孤独なんです。

意外にも「こんな場が欲しかった!」という声をいただき、趣旨どおり「各国に住むブロガーさんが交流して」くださっているのを見ると、作って良かったなと心底思います。

サロンという場を使って新たな交流が生まれたりして、わたし自身も楽しませていただいています。

今このプロフィールを読んでくださっているあなたが「海外在住ブロガー」であれば、ぜひ参加をお待ちしてます。

世界を横断してコミュニケーションが取れる「海外在住ブロガーのための」オンラインサロン
https://www.facebook.com/groups/overseasbloggers/

オンラインサロンに込めた思いを記事にしています。こちらもどうぞ。

《参考記事》
海外在住ブロガー向けの世界横断コミュニティを作りました!
https://europe-life.com/salon-overseas-bloggers/

わたしからのメッセージ

わたしは英語の勉強をきっかけに、新しい仕事にチャレンジし、夫と出会い、ヨーロッパへの移住を実現することができました。

でも、これは結果論です。

一番大事なことは「やってみよう!」と思い、それを実行に移したわたし自身の強い気持ちです。

これがなければ仕事も変えなかっただろうし、もちろん夫にも出会っていません。きっと今も変わらず日本で生活していたことと思います。

初めの一歩は少し怖い。

見知らぬ世界に足を踏み入れるときはたくさんの勇気がいります。でも、その怖さに怯えてばかりじゃ変えられるものも変わりません。自分を変えたくても行動しなければ何も変わりません。

人生はたった1度だけ。チャレンジできる時に挑戦した人勝ちのような気がします。

歳の問題ではなく、人それぞれ自分なりのタイミングというものがにあると、わたしは思っています。

ある人にとっては学生時代かもしれないし、社会人になってからかもしれない。またある人にとっては家庭も介護も落ち着いた50代かもしれない。

人それぞれ巡ってくるタイミングは違うけど、そのチャンスを逃さないで行動してほしいなと思います。

ちなみに、わたしは海外旅行をするたびに、「世界中の人とコミュニケーションしたい」「あわよくば海外で英語を使って仕事がしたい」という思いがエスカレートしていきました。

当時のわたしの英語力を知ってる人からはきっと、「そんな夢物語な・・・」と思われていたと思います。文法はめちゃめちゃ、単語で会話してるようなレベルでしたから。

それでも「やりたい!」「挑戦したい!」という思いの方が強く、とりあえず始めてみたらほかのことが後からついてきた、という感じです。

心に強く思っていることを始めるのに遅いことはありません。

わたしが始めたのは30歳の誕生日。期待と不安に心揺さぶられることもありましたが、「あのとき自分の思いを実行に移してよかった」と、心からそう思います。

わたしの話しはあくまでも一例ですが、ここまで読んでくださったあなたには自分の中にある強い思いに沿って行動してみてほしいなと思います。

さいごに

英語を勉強していたはずなのになぜかスペインへ来てしまったわたし。今はスペイン語を勉強しています。

だからといって、英語を使って仕事がしたいという夢はまだ諦めていません。雇われの就業なのか、自分のサービスやビジネスなのかはわかりません。どういう形であっても実現したいと思っています。

置かれている生活環境や境遇によって、やりたいこと・挑戦したいことは変化していくことと思います。

それでも、自分の思いに正直に「いくつになってからでも挑戦し続けられる心と行動の柔軟さは持ち合わせていたい」と、切に思っています。

長いプロフィールでしたが、最後まで読んでくださりありがとうございました!

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