自分を信じて自分の人生をつくる。フランス・スペイン在住 マインドコーチ mika のプロフィール

はじめまして。

当ブログの運営者であり「マインドコーチ」としても活動しております、mikaと申します。

わたしは2011年にヨーロッパへ移住してからフランス・スペインの2国を拠点にし、数年単位で行ったりきたりしながら生活しています。

フランスは南仏地中海のニース、スペインは東部地中海のバレンシアに拠点を置きながらも、移動の多い生活を送っています。(2018年3月現在・フランス西部に在住)

今こうして生涯の仕事とも思える「ライフワーク」を見つけられたことは、わたしにとって大きな転機となりました。

それが、冒頭に挙げた「マインドコーチ」という仕事です。

コーチングに出会ってからわたしはその魅力にハマりました。その理由はたった1つで、「自分の人生を作りだせる可能性にあふれている」ことです。

ここまで来るのに、とても長い道のりを、さらに遠まわりしたように思えます。

人にも言えなかったひそかな願い。ヨーロッパ移住を実現し、わたしの全エネルギーを注げる仕事に出会えたことで、毎日幸せを感じています。

今この場にいられることも、こうして生活できていることも、わたしを頼ってきてくださったクライアントさんがいることにも、すべてに感謝しています。

わたしの人生は遅咲きです。

少し(というかかなり)長いですが、ここから先の内容は

  • 今にいたるまでの出来事
  • 過去があるから大事にしていること
  • どうして今の考えに至ったのか

などを、包み隠さずお伝えしています。

このプロフィール記事から、わたしの人となりが伝わってくれたらうれしいです。

憧れだった海外生活のいま

わたしは現在、夢に描いていたヨーロッパでの生活の中にいます。

思えば小学生の頃から「青い目をしたハーフの子どもが欲しい」と、ことあるごとにそう言っていました。その夢は小中高・短大・社会人になっても持ち続けたままでした。

今考えれば、だいぶミーハーな宣言ですよね。笑

そして、高校の選択授業で取った「英会話」のクラスでアメリカ人ネイティブの先生と接したことがきっかけで、英語を聞いたり話すことに興味が湧いてきました。

異国の人ともコミュニケーションができるってすごい!

あのときの感覚は社会人になってからも強く残り、次第に「もっとたくさんの外国人とコミュニケーションしたい!」と思うようになっていきました。

英語を母国語として話す国はいくつもありますが、そのなかでも特に惹かれたのはイギリスでした。「いつかヨーロッパ現地で英語を使って仕事がしたい」、そう思うようになっていきました。

それが今、夢に見ていたヨーロッパに住んでいます。最愛であり、最強のパートナーだと思える夫もいます。

夫に出会う前のわたしはボロボロで、「わたしのどん底人生には光なんて刺さない」と思っていたくらいだったので、ときどき「この幸せは夢なんじゃないか?」と思ったりしています。

友達に恵まれなかった 幼少期~高校時代

スペインとフランスでの生活を繰りかえすわたしを見て、「華やかでいいな~」と思ってくれる人もいるようですが、それはきっと写真の効果だと思ってます。苦笑

実際のわたしは華やかとは真逆で、ネガティブ要素が抜けないタイプでした。

社会人になって「仕事」から得られた評価や信頼は大きな支えになりました。・・・が、幼少期から高校卒業までは「楽しい記憶」が思い出せないくらい、暗くて長い時間でした。

当時はただただ苦しかった。

自分を変えたいけどどうすればいいかわからない。信頼できる友達はいない。親との関係も微妙で相談できない。

自分は必要とされていない無価値な人間なんだと、本気で、本心で思っていました。

仲間はずれが多かった 幼少期~小学生

わたしの中で一番古い記憶は、幼稚園での出来事です。

断片的にいくつかのシーンしか覚えていないのですが、その中でも強烈なイメージとして残っている場面があります。それが意地悪をされている瞬間でした。

女の子2人が仁王立ちしていて何か文句を言っている。言われた内容はさすがに覚えていないけれど、そのときの風景と感情は覚えてる。「この子たちなんでそんなに怒ってるんだろう?」と。

その後、小学4年生くらいまではひっそりと穏便に過ごしていました。

成績は中の中でしたが、音楽だけは良かった。それまでは何かで褒められることなんてほとんどなかったのに、歌声を褒められたときはうれしかったな~。純粋に、歌うことが好きでした。

そんな毎日を過ごしていたわたしが異変を感じはじめたのは、小学5年生の頃からです。

5年生ともなれば、いろんなことを感じとる多感な時期ですよね。当時のわたしたちも例外なく、「〇〇ちゃんがかわいい」「〇〇くんがかっこいい」「クラスの中で誰が好き?」とか、恋愛にも興味をもちはじめていました。

その一方で、誰かを妬んだり、羨んだり、イジメたり、なんてこともエスカレートしていきました。そしてある日突然、ほんとに突然、わたしはターゲットとなりました。

それから学校内ではシカトや仲間はずれが繰りかえされました。

これといって楽しい思い出のない小学校時代のわたしを一言で表すと、「バスの席順決めで余りかけるタイプ」です。

運動会・遠足・修学旅行など、仲のいい友達同士でペアを組んだり、バスの席順を決めたり、部屋決めしたりしたことありましたよね?

そのとき仲のいい友達(だと思っていた)にはペアを組む相手がいて、あれよこれよという間にまわりの子もペアを組んでいく。気づけば余りかけになる寸前。そんな感じのパッとしない目立たない子でした。

そして、王道ともいえる女子の行動「一緒にトイレ行こう~!」が理解できず女子の輪に馴染めないタイプでもありました。

人間不信になった 中学時代

中学生になり「心新たに出発!」と思いきや、そうでもないことを早々に知ることとなります。学年の半数は同じ小学校からの顔ぶれだったのです。

クラスが一緒で同じ小学校出身、部活も同じで近所に住んでいた女の子と、自然に毎朝登校するようになりました。

彼女は寝坊することが多く、迎えに行っては玄関で10分待たされる日々でしたが、それでも何も言わず毎日迎えに行きました。

ところが、ある出来事を境に彼女の本心をしることになったのです。

歯の治療でちょっとした手術が必要だったわたしは、腫れが引くまで3~4日ほど休みました。休み明け後、いつものように迎えに行ったら「え?なんで来たの?」的な、明らかに迷惑してる顔。

そして、彼女の口からを聞いて耳を疑いました。

お母さんにmikaちゃんと一緒に行ってあげなさいって言われてたから、今までは仕方なく登校してた。

と、予想を超えた言葉を耳にしたのです。

この出来事は中学生になって間もない春のことでした。「これから中学生活が始まるところなのに、もう?」と思いましたね。

友達だと思っていても人はわからないんだな・・・

小学生からの経験で薄々は感じていたけれど、このときそう確信しました。

その後の中学生活を思い返しても、辛く苦しいことの方が多かったです。正直言うと、楽しい記憶が思い出せません・・・。仲間はずれにされて一人でお弁当を広げたことも、一度や二度じゃなかったです。

中三の夏を過ぎたころ、部活の同学年メンバー全員から体育館へ呼び出され「やる気がないなら辞めて」と、集団リンチ的な状況もありました。

話しを切り出したリーダー的な彼女の顔、そうだそうだ!と続くまわりのメンバーたちの顔はやっぱり忘れられません。

  • サボってるのはわたしだけじゃないのに・・・。
  • あの子もこの子も今まで仲良くしゃべってたのに・・・。
  • そっか、わたしが邪魔なんだ・・・。
  • わたしが居ること自体が悪いんだ・・・。

そして、

  • 友達だと思っていた子も裏では悪口を言っている
  • 自分の価値なんて何一つない

そう「確信」してしまいました。

幼少期からの積み重ねで、そう感じるには十分な経験と毎日がそこにはありました。

友達の意味を失った 高校時代

高校へあがると、まったく新しい環境になりました。小中と同じ時間を過ごした子はほぼいません。

家庭の事情で「公立高校一発受験」「100%合格」を余儀なくされていたわたしは、高校受験にチャレンジすることなく超安全圏の学校を選びました。

これが結果的に、高校でのわたしのポジションを「優等生」にしてくれました。

中学時代はどう頑張っても学年の真ん中。お世辞にも頭がいいとはいえず、かといって運動が得意なわけでもない、可もなく不可もなくな子でした。

そんなわたしが

  • 授業の内容についていける。
  • テスト前に集中して復習すれば満点に近い成績が取れる。
  • 同じ勉強法なのに優等生になれる。

自分では想像もしていなかった「まわりからの認知」にびっくりしながらも、わたしは高校3年間「優等生」として存在していました。

でも、この高校時代でも交友関係で愕然としました。

卒業まであと半年というとき、高校生活で一番仲良くしていた子に「利用されていただけ」という事実を知り、言葉を失いました。

その理由は明確で、わたしはテスト対策要員だったのです。

学年2位のわたしから勉強を教わることでテスト対策をしていた彼女は、テスト勉強期間になるとわたしのノートを大量コピーし、わたしと一緒に勉強し、家庭教師のかわりにしていた。

それはそれでいいんです。

仲良しの友達とテスト勉強し、一緒に合格できるならお互いにハッピーですから。

でも、当人たちの間に信頼関係があってこそだと思うんです。それがないとただ人を「利用」しているだけで、利用された方はどんな気持ちになるか・・・。

せめて卒業までの半年間、それは隠してほしかったな・・・。正直にそう思いました。

毎日一緒に登校し、悩みを話しあったりもした。一番仲のいい友達だと思っていたけれど、またも「信用していても裏切られて傷つくのは自分なんだ」と、本気でそう思いました。

「そんなことない人を信じろ!」と言われても難しいくらい、わたしの中には暗い実体験が積み重なりすぎていました。

ただ、1つだけいいこともありました。

優等生だった「高成績」「高内申点」が幸いし、当時その高校では過去に例をみない進学を果たすことができました。進学実績の少なかった公立の短大へ進むことができたのです。

長い闇の中に見えた 1つの光

なんだか暗い話しが続いてしまいましたが、ここでちょっとした転機が訪れます。

短大に入って出会った新しい友達のおかげで、人間不信になっていたわたしに小さな光が現れたのです。

初めてできた信頼できる友達、学生時代では感じられなかった仕事を通じての成長と充実感。わたしの人生は遅咲きです。

初めてできた 本当の友達

短大にあがり、新しい友達に出会いました。

彼女たちとの出会いは、今まで経験した友達関係を覆すほど衝撃的なもので、はじめて友達に「信頼」という感情を持つことができました。

短大に進学して間もないある日、いつものようにたわいもない話をしていたときです。友人の1人がこう言ってくれました。

『もっといろんなこと話してくれていいよ、私たちもmikaのこともっと知りたいから』

って。

他の友人たちも「うんうん、そうだよ!もっといろいろ話してね!」って続けてくれて。

この一言が泣きそうになるほどうれしかった。

今まで必要とされてこなかったわたしのことを、「もっと知りたい」って言ってくれてる。わたしのことを「もっと聞かせて」って言ってくれてる。

そのときの湧き上がる感情は今でも忘れていません。

予想もしていなかった突然の言葉。心を打たれすぎて一瞬言葉を失い、・・・と同時に「あ、この子たちは信用していいんだ」と頭ではなく心で理解したのを覚えています。

それからの短大生活は、彼女たちと多くの時間を過ごしました。

休み時間、放課後、週末、夜遊び、いっぱい話してたくさん笑いました。

短大なんてたったの2年。長い人生の中では秒速に思えるほど短い時間だけど、青春の2年間はとても濃かったなと思います。

わたしの人生を変えてくれた友達との出会い。誰かに必要とされている感覚が恥ずかしくも心地よくもあったのを覚えています。

自分の成長と働き方を模索した 社会人時代

短大を卒業するとき、わたしは就職活動をしませんでした。

短大での専攻は専門学科。それ自体を学ぶことは好きだったのですが、やりたい方向性と当時求められていた職業とに大きなギャップがあって、気が進まなかったのです。

わたしは短大時代からやっていた紹介派遣の仕事を続けることにし、そんな生活を4ヶ月ほど続けていた21歳の8月、ある求人広告に出会いました。

この広告がきっかけで、その後の社会人人生が大きく変わることとなります。まったく想像していなかったけれど、結果的に10年勤めました。

入社当時のわたしは、(ほぼ)新卒扱い。

  • 業界未経験どころかオフィス勤務経験なし
  • パソコンは電源押すのが精いっぱい
  • 何もかもが未経験

できないことだらけなわたしが採用されたことに驚きましたが、何にも染まっていないまっさらなわたしは、伸びしろがたっぷりあったんだと思います。

その後、上司や先輩たちのおかげで、自分でもはっきりとわかるくらいめきめきと成長していきました。そのくらい成長感を感じられました。

仕事は楽しかった

  • 自分のやったことが直接自分の評価になって返ってくる
  • 相手の意図を汲みとって、頼まれた以上のもので返す

これは当時から続くわたしのモットーでもあり、今も変わらず心に留めていることですが、

相手の立場になって考える

これを意識して仕事をしていたら、知らず知らずのうちに信頼され、評価され、いろんなことを任せてもらえるようになりました。

そうするといい方向に向かうんですよね。

さらに責任ある仕事を任せてもらえるようになり、そのぶん気持ちも引き締まる。そうすると輪にかけて成果以上のものを返そうとする。

これが良かったんだと思います。本当にたくさんのことを任せてもらえ、勉強させてもらいました。

当時学んだことは今でも忘れていません。

時を超えても、住む国が変わっても、当時言われたこと・学んだことが今でも生きています。

仕事は本当に楽しかった。

けど、悩んだり壁にぶつかることも数えきれないくらいたくさんありました。

理不尽なことを言われて辛い思いもたくさんした。悔しくて泣いたこともある。でも、仕事は本当に楽しくて、成長と充実を味わった10年だった。

と思っています。

そして、わたし自身の成長と仕事から得られた評価とともに、幼少期から感じていた「自分の価値のなさ」と「人間不信」は少しずつ弱まっていきました。

ただ、そんな充実感の中にも心に引っかかっていたことがあります。

  • これから先の働き方
  • 忙しさにかまけてはじめられなかったこと

この2つだけが、心のどこかに引っかかっていました。

心に残っていた夢への挑戦

仕事を通じて自分への自信と存在価値を少しだけ取り戻したものの、27歳~30歳の3年間、もやもやしたものが絶えずわたしのまわりを取り囲んでいました。

  • 仕事は楽しい
  • 自分の成長も感じられるし
  • 上司・先輩・同僚、人に恵まれたいい職場でもある
  • でも、何かが足りない・・・
  • 何かこう、わたしの人生で大切になりえる何か・・・
  • その「何か」ってなんだろう・・・?

なかなか答えが出ず、もどかしい日々が3年も続きました。

  • このまま30代後半・40代になってもこの仕事を続けていけるだろうか。
  • 出産・育児をしながら続けていける仕事だろうか。

漠然とした不安と自信の無さ。

得体のしれない大きな何かにまとわりつかれているような感覚は、誰しも一度は経験があるんじゃないでしょうか。。

まさに、わたしはその中にいました。

このまま流されて年を取りたくない!と強く思った30歳

はっきりしないモヤモヤが続いた3年間。

何がこんな風にさせるのかがよくわからないまま時間だけが過ぎていきました。そしてある時「あ、これだ・・・」と確信できたものがありました。

  • ずっとやりたかったのに忙しさにかまけてできなかったこと
  • 忙しいを言い訳にのばしのばしにしていたこと
  • 挑戦したかったのになぜか一歩が出なかったこと

そっか、わたしはこれに挑戦してみたかったんだ。

そう思えたものがありました。

それは、高校時代の選択授業で味わったあの感覚、「英語を使って世界中の人とコミュニケーションしたい」と思っていたことに繋がっていました。

本心は、英語が学べる大学に行きたかった。
でも、家庭の事情で叶わなかった。

たくさん働いてお金を貯めても、一人暮らしの一般OLの給料じゃ毎月の生活費をやりくりするのに精いっぱいで、留学費用を捻出するなんて経済的に厳しかった。

何度、夢に見たかわかりません。

当時のわたしには「語学を学ぶ=留学」というルートしか見えず、現実を思い返しては「留学したい」という気持ちに蓋をし続けてきました。

でも、

今この一歩を踏み出さなければ、いつ踏み出すんだろう・・・?

これから先の未来では、今この瞬間が一番若いです。

数年後に振り返って「やっぱりあの時はじめていればよかった」そう思うに違いない。

そう自分に言い聞かせ「今までやりたかったことを実行する!」という決意を、30歳の誕生日にしました。

忙しくて行動できなかったことを、仕事とか現実とか関係なくやってみよう!
その先のことはやってから決めればいい!

そんな風に思ったのです。

そして、

「よし、小さいことから行動してみよう!」

そう決意しました。

とはいえ、何から手をつけようか・・・?

  • 海外へ行って勉強することはできない
  • 英会話教室なんて行ってもたかが知れてる
  • となれば自分の力で何とかするしかない

そう思って独学で、とにかくはじめてみることにしました。

しかし、中高あわせて6年間も勉強してきたはずの英語なのに、あきれるくらい覚えていませんでした・・・。

そもそも学力の弱いわたしが覚えていることといえば、今でいえば小学生レベルの英語力程度。

がくぜんとしながらも、中学1年生で習う「英単語」「文法」「リスニング」の復習からスタートしました。もうほんとに、動詞の「make 」「do」「have」「need 」あたりからです。

と同時に、使わないと意味がないので実践できるように外国人のお友達を作りました。

転機はいきなり訪れた

そんな状態を1年ほど続けたころ、ある変化を感じました。

はちゃめちゃな英語でも伝えようとする意欲が通じるのか、次第に意思の疎通ができるようになってきたのです。

そして、夢に描いていた理想の自分へ近づく一歩として、「英語を使って仕事がしたい」そう強く思うようになりました。

心が決まったら行動なんて早いものですよね。

トータルで10年勤めた会社を辞める決意し、外資系企業の未経験業種にチャレンジすることにしました。31歳のことです。

晴れて英語を使う仕事に就くも、慣れない風習、業界用語、社内ルールなども多くて、正直かなり消耗しました。けれど、「理想の自分に近づいている」と思ったらそれだけでがんばれました。

それから間もなくしたある日、転機はいきなり訪れました。

偶然出会ったひとりの人に、その後の人生を変えられることとなりました。それが今の夫です。

当時のわたしは32歳、彼は6つ年下の26歳。

彼は日本へ来て3ヶ月を過ぎたばかり。気軽に話せる友達がほしかった彼と、気軽に英会話の練習をしたかったわたしたちは出会いました。

1分前には想像もしていませんでしたが、まさか・・・こんな展開になるとは・・・。

当時のわたしは離婚して1年も経っておらず、恋愛どうのよりも英語力をあげたかった。

勉強しだしたときに比べたら「多少はマシ?」程度でしたが、文法はめちゃめちゃだし、聞き取れない言葉は多いし、自分のいいたいセリフさえもうまく言えなかった。そんなレベルです。

英語は話せる言葉しか聞き取れない。

まさに、彼とのコミュニケーションの中で体験しました。

聞き取れるようになった言葉は自分でも使えるようになっていったし、聞く・話すが少しずつ少しずつ一体化していきました。

この出会いをきっかけに交際へ発展し、夢に描いていたヨーロッパ移住が現実として目の前に現れました。

わたしは過去に一度結婚していて、31歳のときに別れました。彼と出会う10ヶ月前のことです。

26歳の彼はわたしを好きだと言ってくれてる。
でも、過去に結婚していた事実を知ったら気持ちはきっと変わるだろう・・・

そう思っていました。

それが、彼の気持ちが変わるどころか、より一層わたしを信頼してくれました。

そして、あのとき彼に言われた言葉は一生忘れません。

過去の出来事があるから今のキミなんだよ。
過去を知ったらますますキミのことが好きになった。

3.11. 東日本大震災

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ヨーロッパへはじめて来たのは、本格的な移住から3ヶ月遡ったクリスマス休暇。

義理家族と過ごすはじめてのクリスマスで、フランスは地中海沿いのニースでした。

  • 夢に見たヨーロッパの地
  • やさしい義理両親
  • わたしを大事にしてくれる彼

に、言葉が出ないくらいひとつひとつに感動し、はしゃいでいました。

その後、スペインへ移住することになります。

直前に起きた大地震

  • スペインってどこ?
  • どういうところかな?
  • どんな人たちかな?
  • どんな生活なのかな?

と、いろんな思いをめぐらせながら東京にあるマンションを引き払うため、わたしは業者の人たちと作業していました。

そして、「あと半日で出発!」という時にパニックが起こったのです。

2011年3月11日に起きた、東日本大震災です。

突然襲ってきた大地震。

今まで経験したことのない揺れを体験し、はじめて命の危険を感じました。揺れが一瞬やんだその瞬間、業者の人たちと一緒に急いで緊急避難に努めました。

家の作業が終わったら夜遅い電車で空港入りしよう!

当初、そう予定していました。翌朝・早朝フライトのためです。しかし、目の前にいま見えている状況はそれどころじゃない・・・。

フライトの前に死んでしまうかもしれない

本気でそう思いました。

そんな思いがよぎった瞬間、国際電話で彼へ連絡していました。

その後少しして揺れが収まった瞬間に中断したままの部屋へ戻り、荷物を軽くまとめ、スーツケースを持って再度非難し、どうやって空港入りしようかを考えました。

  • 近くの道路はパニック状態
  • 電車もバスもタクシーも使えない
  • 業者のお兄さんたちは一度事務所へ戻ると言ってる

彼らのオフィスは羽田と同じ方向だから、もしかしたら空港まで送ってもらえるかもしれない!

そう思って遠慮がちに、でも、他に手段はないので真剣に聞いてみたら、二つ返事で快諾してくれました。(わたしの本気度が伝わったんですって!)

軽トラックに3人乗り、パニックと混雑で渋滞の嵐となった一般道を進み、紆余曲折ありながらも無事に空港入りを果たしました。

普通なら40分程度で着く道のりもこのときばかりは3時間かかりましたが、なんとか無事に到着することができました。

生死を共にしたお客さんのことは一生忘れません!

と、何度も何度も繰り返し、ダメ元で頼んだ羽田への送りも快く引き受けてくれた彼らには感謝しかありません。

普段あまり動じないわたしも、さすがにこの状況で一人だったらパニックに陥ってたと思います。彼らがいてくれて本当に心強かった。

わたしにとっては命の恩人とも言える相手で、わたしの方こそ一生忘れません!

空港での8時間と、+1日

なんとか空港に到着したわたしは、翌朝の早朝フライトまで8時間待ちました。空港には行き場を失った人たちが、床に陣地をつくったり雑魚寝してる状態でした。

  • 飛ぶか飛ばないかもわからない
  • いつ情報が入ってくるかもわからない

結局、この日のフライトは欠航されました。

そして、幸いなことに翌日の便に振り替えてもらうことができ、無事にスペイン入りを果たすことができました。

翌日3月12日のことです。

空港には夫と義理両親が迎えに来てくれていて、わたしを見つけるなり彼らの安堵した顔と泣き出してしまった義母の姿は忘れられません。

想像とは違う海外生活に塞ぎ込む毎日

いざスペインへ到着して、想定外だったことがあります。

誰も英語を話さない・・・

もう少し調べていればよかったのですが、スペイン行きが決まったのは渡航する1ヶ月前。

仕事を辞めるための引き継ぎと、家の引き払いもある。その前に荷物の整理もしなくちゃいけない。目まぐるしい1ヶ月で調べるような余裕も時間もありませんでした。

それに、

ヨーロッパだもんみんな英語くらい話すよね?

と、理由もなくそう思っていました。

ドイツやオランダ、北欧の人たちが母国語以外にも流暢に英語を話す姿を見ていたからかもしれません。

それが大きな勘違いだった・・・ということに気づいたのは、スペインに来てから。

スペイン人はスペイン語を話す

わたしたち日本の教育カリキュラムでは、中学・高校と英語は必須授業でした。

なので、

  • りんご=Appleなのも知っていたし、
  • オレンジ=Orangeだということも知っているし、
  • 123の数字はOne Two Threeであることも知っています。

ですが、ここはスペイン。

彼らは母国語であるスペイン語を話します。

そして、

  • りんご=Appleではないし、
  • オレンジ=Orangeでもなく、
  • 123はまったく聞き覚えのない言葉でした。

この事実を前に、気が遠くなりました・・・。

あれだけ時間をかけた英語でさえまだ中級なのに今から全く別の言語を、それもイチから、いや、ゼロからはじめなきゃいけないの?

って。

聞くのも見るのも嫌になったスペイン語

言葉の問題だけではありません。

生活習慣、食事、文化、マナーなどの壁も目の前に現れました。そして、日本とは考え方がまるっきり違います。

夫は仕事で多忙だったこともあり、1日の大半をひとりで過ごしました。

朝7時~夜21時まで、異国の地でひとり。スペイン語ができないわたしの行動範囲は自然と狭まりました。

せめて英語圏なら・・・

何度も何度もそう思いました。お店で何かを聞くことも、ひとりで病院へ行くことも、友達だって作れる。

なのに、スペイン語ができないわたしは、言葉が話せない赤ちゃんと同じ。体も思考も大人なのに、誰かの助けがない何もできない

自立したいのに自分の力だけじゃ何もできない。
日本では働いて稼いで自分の生活は自分で賄ってきたのに・・・。

自分の無力さに、強いいらだちは隠せませんでした。

これには本当にこたえました・・・。

  • 英語を続けたかった・・・
  • スペイン語は覚えたくない
  • スペイン語を聞くのも見るのもいや

そんな思いばかりが強まるわたしは、スペイン語なんて覚える気はなかった。

スペイン語を耳にするのも嫌だからTVはつけないし、毎日の小さなことすべてがマイナスに見えて、次第に家から出なくなりました。

人と話すのを避け、外に出るのも億劫で、家に引きこもる日が続きました。

そして、とにかくとにかく眠かった。

寝ても寝ても強い眠気に襲われ、どれだけ寝ても眠くて、冬眠する動物ってこんな感じなのかな?と思うくらい、時間があると眠っていました。

軽鬱状態が半年も続くと、ネガティブ思考な自分が放出し放題です。

そんな自分も大嫌いだったし、「なんで英語圏じゃないの?」って、繰り返し自問自答していました。

スペイン生活で解放された自分自身

夢にまでみた憧れの海外生活。

今考えると、どんなに素敵なものだろうと想像に想像を膨らませて、美化していたのが良くなかったんだと思います。

自分で勝手にふくらませた「理想の海外生活像」をイメージしすぎて、想像と現実の大きな違いを前に、自分で勝手に落ち込んでいたんです。

スペインのいいところが見えてきた

鬱状態になるほど苦しかったスペイン生活も、スペイン語がわかってくるにつれて人とのコミュニケーションが少しずつ楽しくなってきました。それが単語レベルであっても。

これと同じくらいのタイミングで、今までガチガチに固まっていた自分自身が少しずつ解放されていく感じもしました。

スペインは、良くも悪くものんびりしていると言われます。

大事な手続きの場面ではそれがデメリットに映りますが、それはスペインに限らずフランスでも同じ。

それでも、そののんびりさが大きなメリットになるのはスペインのいいところです。

「のんびり」というと「怠けてる」とか「働かない」とかマイナスなイメージを連想させますが、スペインで生活する中でわたしが感じるのは、「のんびり=心に余裕がある」という感覚です。

スペイン生活から得た価値観

日本にいたとき、わたしは仕事に打ち込んでいた方だと思います。

会社も仕事も職場の人も好きだったので、仕事に没頭すると時間を忘れて取りくみました。朝は7時に出勤し、深夜0時の終電まで働いたことも少なくありません。タクシー帰りで夜中2時まで働いていたこともあります。

それでも仕事は楽しかったし、自分の成長がうれしかった。

仕事と生活のバランスが一番だとは思っていましたが、わたしの場合、仕事が楽しいと生活も楽しくなるので、プライベートとの境がなくなってしまったりもします。

ですが、仕事にしても家族にしても人生観にしても、スペイン生活から大きな影響を受けたのは言うまでもありません。

先にも触れましたが、わたしは幼少~高校まで交友関係に恵まれませんでした。そして、スペイン・フランスでも一番大事とされる「家族関係」にも恵まれませんでした。

数年前に母を亡くしましたが、両親はいました。3つ年下の妹もいる。家族構成的は一般的でしたが、家族関係はいい方ではなかったです。

それもあり、

  • 家族
  • 友達
  • 恋愛(恋愛観)
  • 働き方(仕事観)
  • 生き方(人生観)

など、昔のわたしはいろいろと偏ったところがありました。

その反動なのか、自分の中で「こうありたい」という理想が高くなっていったんですよね。

でも、その高い理想が、ここスペインにはありました。

同調を超えて「人と同じでなければならない」ことを良しとされる日本よりも、ひとりの「個」を受けて止めてくれるスペインの感覚

の方が、わたしにはあっていました。

辛くて苦しかったスペイン生活当初では見えなかった部分です。短期の旅行だけでは絶対に気づけなかった部分じゃないかと思います。

長く生活をしていくほど、

わたしという、ひとりの存在を受け止めてもらえる喜び

を感じ、肩の力を抜いて生きられる。

そんな感覚を覚えました。

これからやっていきたいこと

今までたくさんのことを経験しました。

  • 未経験で入社し社会の一員となった新入社員時代
  • 自分の成長と数々の壁に一喜一憂した社会人時代
  • やりたいことに踏み出させなかったアラサー時代
  • 長い暗闇だった学生時代

辛く苦しい時間が長かったことは、わたしにとって「プラスの力」と変わりました。

友達の輪にうまく入れず輪の外でタイミングを待っている人の気持ちはよくわかりますし、がんばってもなかなか成果に繋がらず悔し泣きをする人の気持ちも痛いほどわかります。

やりたいことになかなか挑戦できず最初の一歩が出ない人の気持ちも自分のことのように感じられます。

いつからか、こう思うようになりました。

ためらっていて一歩が出ない人へ、手を差しのべられることがしたい。

過去のわたしのように、「自分を変えたい!」ともがいてる人の背中をそっと押してあげたい。

そんな思いをもちながらも、長い時間が過ぎ・・・

ひょんなことをきっかけに「コーチング」というものに出会いました。

道を切り開き実現する力=コーチング

コーチングとは、

  • クライアントさまの描くゴールに向け、
  • クライアントさまご自身が望む人生を作りだすために必要な
  • 「自らの行動」を促し、
  • 「現実をデザイン」する

ことです。

もっとわかりやすく表現すると、

自分の可能性を最大限に引き出し、自らの行動を促すことで「達成したいゴール」「なりたい姿」を実現するためのサポート

でもあり、

自らが「ゴールへの道を切り開いていける力」と「実現させる力」を身につける

ことでもあります。

わたしは、コーチングを知れば知るほど、その魅力にハマっていきました。

そして、

以前から興味のあった心理学や、感情・思考についての整え方(マインドセット)も、コーチングの考え方と共通する部分がある。

そうとも感じました。

  • わたし自身の実体験
  • 過去の出来事から得たこと
  • 夢を実現する力
  • 未来への道を切り開く方法

発信していきたいと思っていたすべての条件が、マインドセットとコーチングに集約されていたのです。

これに気づいてしまったら、行動するしかありません。というより、行動したくてしたくてムズムズしてきてしまったのです。

こうしてわたしは、この後の人生を費やしていきたい「ライフワーク」ともいえる仕事を見つけることができました。

チャンスは自分でつくるもの

  • 自分を変えたい!
  • やってみたい!

と、心のどこかで思われているなら、記事を読んでくださったあと、30分後、明日からなど、いつでも挑戦してみてください。

どんな決意も、行動に移さなければ何も変わりません。

あなたの決意はあなただけのものですが、行動するのもあなた自身にかかっています。

チャンスは自分で作るもの

です。

  • 自分の決意でチャンスを作り
  • チャンスによって環境を変え
  • 環境によって習慣が変わり
  • 習慣によって自分の世界が変わっていく

そんなきっかけになってもらえるための情報を、このブログから届けられたらいいなと思っています。

教育系ブロガー「Ryota」さんからご紹介いただきました!

フランス・スペイン現地情報も発信します!

フランスとスペイン、2拠点生活をしているわたしが発信できることはもう1つあります。

それは、等身大の現地情報を発信すること です。

巷にはたくさんの海外情報が出ています。

でも、その多くはいい部分しか見せていなかったり、意図的に編集されて印象操作的に伝えられていたり、無責任な煽り記事も多かったり。

キラキラした夢のような海外生活だけを紹介しているケースも少なくありませんし、それに踊らされて判断を誤ってしまう人は少なからずいると思っています。

決断するのはあなた自身です

どんな情報を見て、どの情報を信じるかは個人の自由です。

だからこそ、信じられる情報を発信していきたいなと思いました。

いい面も良くない面も、メリット・デメリットも、ぜんぶひっくるめて等身大の現地情報をお届けすることはわたし個人にもできます。

ときには苦言を刺すような内容かもしれません。ですが、それさえをも判断材料のひとつとして参考にしてほしいなと思っています。

  • これから海外へ行きたい方
  • 海外移住を計画されている方
  • 現地での就労を志している方

わたしからの発信が「決断するための判断軸」として参考にしてもらえたら、こんなにうれしいことはありません。

海外在住ブロガー限定コミュニティ運営してます

ブログと並行して「海外在住ブロガー限定オンラインコミュニティ」の運営もしています。

各国に散らばる海外在住ブロガー同士、居住国関係なく世界を横断してコミュニケーションが取れる場があったらいいな・・・。

これが、当コミュニティをはじめることになったきっかけです。

そして、コミュニティ開設後3日もしないうちにたくさんの方から参加希望をいただくこととなりました。本当にありがたい限りです。

海外在住ブロガーって、けっこう孤独なんですよ。

意外にも「こんな場が欲しかった!」という声をいただき、趣旨どおり「各国に住むブロガーさんが交流して」くださっているのを見ると、作って良かったなと心底思います。

このコミュニティを通して新たな交流が生まれたりして、わたし自身も楽しませていただいています。

今このプロフィールを読んでくださっているあなたが「海外在住ブロガー」であれば、ぜひ参加をお待ちしてます。

*海外在住ブロガー限定オンラインコミュニティ
https://www.facebook.com/groups/overseasbloggers/

当コミュニティに込めた思いを記事にしています。こちらもどうぞ。

わたしからのメッセージ

わたしは英語の勉強をきっかけに、新しい仕事にチャレンジし、夫と出会い、ヨーロッパへの移住を実現しました。

でも、これは結果論です。

一番大事なことは「やってみよう!」と思いと、それを実行したわたし自身の強い気持ちです。

これがなければ仕事も変えなかっただろうし、もちろん夫にも出会っていません。きっと今も変わらず日本で生活していたことと思います。

初めの一歩は少し怖い

見知らぬ世界に足を踏み入れるときはたくさんの勇気がいります。

でも、その怖さに怯えてばかりじゃ変えられるものも変わりません。自分を変えたくても行動しなければ何も変わりません。

人生はたった1度だけ

チャレンジできるときに挑戦した人勝ちのような気がします。

人それぞれ自分なりのタイミングというものがあると、わたしは思っています。

人それぞれ巡ってくるタイミングは違うけど、強い思いを感じたその瞬間を逃さないで行動してほしいなと思います。

わたしは海外旅行するたびに、「世界中の人とコミュニケーションしたい」「海外で英語を使って仕事がしたい」という思いがエスカレートしていきました。

当時のわたしの英語力を知ってる人からはきっと、「そんな夢物語な・・・」と思われていたと思います。文法はめちゃめちゃ、単語で会話してるようなレベルでしたから。

それでも「やりたい!」「挑戦したい!」という思いの方が強く、とりあえずはじめてみたらほかのことが後からついてきた。という感じです。

何かをはじめるのに遅いことはありません。この瞬間がこれからの未来で一番若いんですもの。

わたしが実行しはじめたのは、30歳の誕生日。

期待と不安に心揺さぶられたり、ぜんぜん伸びない英語力にいらだったことも何度とありました。

でも、諦めないでよかった。あのとき自分の思いを実行に移してよかった・・・と、心からそう思います。

さいごに

英語を勉強していたはずなのになぜかスペインへとフランスへ来てしまったわたしはいま、スペイン語を勉強しています。

だからといって、英語を使って仕事がしたいという夢はまだ諦めていません。

雇われの現地会社員なのか起業なのかはわかりませんが、どういう形であっても実現したいと思っています。

置かれている生活環境や境遇によって、やりたいこと・挑戦したいことは変化していくことと思います。

それでも、自分の思いに正直に、「いくつになっても挑戦し続ける心と行動の柔軟さは持ちあわせていたい」と、切に思っています。

長いプロフィールでしたが、最後まで読んでくださりありがとうございました!感想やご意見をいただけたら、とてもうれしいです!

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