こんにちは、Mikaです。
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27歳がいちばん乗っていた気がする。
プライベートもそれなりに充実していたし、仕事もいろいろ任せてもらえていたし、なんていうんだろう、じぶんでも自分の成長を少なからず感じていたし、若くもあった。
でも一方で、焦りもあった。 刻一刻と迫ってくる30歳の壁。
- あれはなんだったのだろう…?
- わたしはなんであんなに30歳におおきな意味があると思っていたのだろう…?
なんて振り返るきょうこの頃がとても穏やかで、わたしもだいぶ大人になったものだ。
「もう歳だから…」は日本でしか通用しない。
今日は歳についておもいをめぐらせていきます。
もう歳だから・・・
- わたし、もう歳だから…
- この歳からはじめるなんて、遅いよね…
いったい誰が決めたのだろう?
これから先の人生で、「今」という瞬間が一番若い。
これは世界の誰にも共通しているし、残念ながら(いまはまだ)お金では変えない。
世界に名をはせる超富豪たちも、ホームレスの人たちも、いまこの記事を読んでくださっているあなたにも、これからも続く人生で「今」という瞬間が一番若いことだけは確かである。
「若い」が正義の日本
- 若ければ若いほどいい
- 若いは価値である
そんな風潮のある日本文化。いちばん顕著にあらわれているのが芸能界ではないだろうか。
15歳にも満たないこどもたち(とくに女子)が男性誌の表紙をかざったり、水着になってセクシーポーズを強要されたり、日本の文化は異様に映る。
そんな風潮で育ったわたしにはありふれた日常だったし、若い子信教ってすごいな~とは思っていたけれど、日本の外へ出てはじめてはっきりわかった。これは異色だって。
いくつになっても挑戦できる
若い子信教の話しをしたいわけじゃないので話しを戻すと、、
わたしが言いたいのは、これからの人生で「今」が一番若いんだからどんな人も「何歳からでも挑戦できる」ってこと。
ヨーロッパではいろんな年齢層の大学生がいる。
- 社会人になったけど〇〇分野についてもっと学びたい
- 育児や家庭がひと段落したので教養を深めたい
- 単純に、もっと知識を深めたい
10代・20代の若い世代に混ざって、成熟した大人たちも大学生として時をともにする。 スペイン人のある友達(既婚)は仕事でイギリスへ引っ越し、かなり責任ある仕事にも就いていた。
その後彼は、仕事をしながらオックスフォード大学院で学び直していた。学生と社会人、二足のわらじで。奥さまも彼の決断・行動を「あたりまえ」のごとく理解していたし、一番の協力者でもあった。
また違う知人は、2人の子育てがひと段落しはじめる頃から現地の大学へ通い、数年かけて卒業していた。同機は単に「もっと知識を深めたい!勉強したい!」だった。
わたし自身は、この風潮にうれしさを覚える。
- じぶんにもまだチャンスはあるじゃないか!
- 学びたいと思えばいつでも挑戦できる!
- 〇歳(じぶんの今の歳)なんてまだまだ若い!
こんなふうに思えて、力が湧いてくる。
年齢はただの数字
年齢なんてただの数字。
体重が上下するのとおなじように、年も数字が変わる。(体重のように下には変わらないけれど笑)
1年前の自分は、たしかに今より1歳若い。
かといって劣っていたか?と聞かれたら、答えは「NO」とはっきり言える。1年分の学びと実体験をとおして得たものがたくさんあるからだ。
とすれば、、
1年前より今、5年前より今、10年前より今のほうが精神的・知見的な成熟度は高いということになる。もちろん、その人がどのように時間を過ごしてきたかにもよるけれど…。
それでも、過去の自分より今の自分の方が、人生における学びは年々深まっているとおもう。なぜなら、時を経過しているから。時をとおして得られることは人生に深みをあたえてくれるから。
年が気になったら
とはいっても年齢が気になる!って方は、いっそのこと外国人とふれあってみると年齢に対する考え方が変わるかもです。
外国人=日本以外の人すべて。 世界はひろい。 日本でのあたり前は海外で通用しないし、その逆もしかり。
まったくちがう価値観や文化にふれることで、今悩んでいることがちっぽけに感じたり、悩んでることすらばかばかしくなってくることもある。
『年齢なんて気にせずいつでもチャレンジできる』
『じぶんらしいチャレンジを、何歳になってからでも』
おばあちゃんになっても忘れずに、持ちあわせていきたい想いです。