旅行先のドバイにて

Author: mika

ヨーロッパ在住7年。
スペインを拠点にフランスへ点在したり。現在はフランス・ニース在住。

起業した夫の仕事を手伝いながら自身のフリーランスを視野に入れて活動中。なかなか思うようにはいかないけれど、一歩ずつじっくりやってます。

簡単な経歴

1978年生まれ。

女子の輪に馴染めない幼少~小学時代

記憶の片隅にある幼い頃のわたしは、女子の輪に馴染めない子でした。

幼稚園3年間のうち、年中からの2年間はすでに女子の輪には入っていませんでした。年長のクラスで一緒だった隣の席の男とよくふざけていたのを覚えています。それがわたしの初恋でした。

小学校にあがると周りの子はどんどん女子の輪を作り出し、休憩時間にもなると「一緒にトイレ行こう~!」とグループ行動をしはじめました。これといった所属場所のないわたしは、なんとなく決まった女子グループに付いていくような感じで生息していました。

その頃から「トイレくらい一人で行けばいいのに」って思ってましたし、大多数の意見に流されながらも裏ではその場にいない子の陰口などをしている友達の姿を見ながら、「女子(というか人)って怖いな」と冷静に捉えてました。

この当時必要だった女子力は「女子の輪につるむことのできる力」なんだと思います。そんな女子力に欠けるわたしは、彼女たちの「シカト攻撃」の対象になりました。

彼女らはゲーム感覚で「シカト」を繰り返していましたが、それさえも「子どもっぽいな」と思っていましたし、ターゲットを変えて「シカト」という行動をする彼女たちに友達としての信用は全くありませんでしたね。いまこの場でいいこと言ってたって、どうせ裏では悪口言うんでしょ?的な。

女子の輪にうまく馴染めなかったわたしは、男の子と遊んでいることの方が多かったです。放課後直前にはいつもの男の子が「〇〇公園で遊ぶので集まって~!」と集合をかけるので、私はたくさんの時間を男の子たちに混ざって遊んでいました。

女子の輪にむりやり所属しているより、男の子たちと遊んでる方が純粋に楽しかったんです。

友達の意味が良く分からなかった中学時代

中学に上がった最初の1年は普通に過ごしていましたが、2年生にもなると異変を感じ始めました。今まで仲良くしていた(と思っていた)友達から絶交され、完全1人ハブ状態に。

中学生にもなると仲良しグループの繋がりというか、グループの絆みたいなのが強くなるんですよね。そして出来上がってる仲良しグループはメンバーチェンジがありません。出ていく人はいたとしても、新しく加入する新メンバーはほぼいません。

結局、中学2年生の思い出は「1人でいることが多かった」です。

女子グループの事情になぜか関係のないクラスメイトの男子まで便乗しはじめ、面と向かって悪口を言ってきたりしてました。でもやっぱり私は「こういうことして何が楽しんだろう?」としか思えず、相手にしていませんでした。それがまた彼らをイラつかせたんでしょうね。悪口は段々とエスカレートしていきました。

クラス中どこにも居場所のない私は、毎日気まずい思いをして学校へ通っていました。友達はいない。学校へ行くのは両親への建前と「決められた毎日」だから

意地悪されるのはある意味「慣れっこ」でもありました。幼少から経験してましたから。でもやっぱり腑に落ちなくて。子ども心ながら「友達」ってなんだろう?と本気で考えたりしてました。

そのまま残りの中学生活をやり過ごそうとひっそり生きていたわたしに、新たな問題が起こりました。中学3年も残り半分といった頃、所属していた部活の同学年メンバーに呼び出しをされたのです。

全員が円をかくように丸くなって座っている中、呼び出されたわたしは中央にぽつりと立たされ「やる気がないなら辞めて」と、いかに必要がないか(というかただの邪魔)だということを中心メンバーそれぞれからお達しをもらいました。

同学年の部活メンバーは全部で27人。ほぼ全員が円陣を組んで待っている光景は異様ともいえる雰囲気でした。その中で呼び出されただけでも泣き出しそうだったのに、あれだけ色々言われながらよく耐えたな~って思います。

そんな友達関係を経験した中学時代は「友達って何だろう?」と漠然とした疑問を抱えていました

そして、家では厳しい父と世間体を気にする母に挟まれる日々。家族でさえ心を許して相談できないのに、育った環境も性格も違う友達(他人)に相談なんてできるわけないって思ってました。そもそも信用できる友達なんていなかったですし。

家でも学校でも居場所が見つけられず、苦しい毎日を過ごした記憶しかない中学時代です。

親への依存はしたくなかった高校時代

固定観念や世間体を気にする両親の背を見て育ったわたしは、物心がつくころから生きることに窮屈感を覚えました。

  • 人と違うことはするな
  • まわりに合わせろ
  • 自分の意見を出すな
  • 人に頼るな
  • だからお前はダメなんだ

こんな言葉と一緒に教育されてきたわたしは、親の教え通りに生きるどころか「反発心」さえ芽生え、「この世に一人として同じ人間はいないし、わたしは世界で一人だけなのにどうして自分を殺して人に合わせなきゃいけないの?」と思っていました。

迷惑をかけない程度に人にあわせるのは理解できるけれど、自分を殺してまわりに合わせたって楽しくないって思っていたし、都合が悪くなると「個性が大事」とか言って「個性を出すな(まわりに合わせろ)」と言い切っていた躾と矛盾してるじゃんって本気で思ってました。

そんな両親ですから、当然「世間体的に」高校生のバイトは禁止と通達されました。

が、わたしは早く自立したかったので、高校へ入学して数か月後にやってくる夏休みで人生初のアルバイトをする計画を練っていました。

そして予想通りの反応をした親の反対を押し切り、近所のコンビニでやった夏休み限定バイトを皮切りにその後も定期的にバイトを続けました。欲しいものを買うため、友達との交際費のためというより、親の囲いから早く脱出したかったんです。

幸いにも学校の成績は良かった。

というより、高校のレベルを落としたので今までと同じように勉強しただけで学年2位を3年間キープできたほどです。

私は勉強が得意ではありません。特に学期末テストみたいな総合試験は苦手です。中学時代の成績は常に真ん中よりちょい下くらいをいったりきたり。

高校進学で行きたい学校はあったものの、家庭の事情で超安全圏の公立しか受けることができず「挑戦」することすらできませんでした。頑張れば入れるランクを避け、確実に入学できる高校しか受けられなかったのです。

「利用してるだけ」と言われ、人間不信になった高校の友人関係

高校では新しい友達もできて普通に生活していましたが、長くにわたる過去の経験はそう簡単に忘れられるものではありませんでした。心の奥底にある人間不信は治らないままです。

家から自転車で5分ほど離れた場所に住む女の子と仲良くなり、毎日一緒に通学していました。わたしにとっては、クラスで「一番仲のいい友達」だと思っていました。

それがある日、クラスでも中心的存在の女の子からこんなことを言われました。

「**ちゃんが言ってたよ、〇〇ちゃん(私の名前)と仲良くしてるのはテスト前の勉強に利用してるだけ」だって。

話しをよく聞いていると、仲良しだと思っていた彼女にとってわたしは、テスト前のカテキョー的な役割だったようです。ノートを写したり勉強を教わったり。

それを聞いて、凹むというより悲しくなりましたね。。「親しいと思っていても信用できるとは限らないんだな・・・」と。

そして、「友達って何だろう?」という漠然とした疑問が再び目の前に現れました。

初めて本当の友達ができた短大時代

高校時代の好成績が幸いし、過去稀にみる推薦枠で受験をすることができました。苦手な数学を受けることなく、短大への進学を果たします。(その意味では超安全圏の高校しか受けさせてもらえなかった親に感謝です)

そこで人生初めて、信頼できる友達に出会います。

彼女たちとの出会いは今までの私の交友関係を覆すものとなり、たくさんの時間を過ごし、いろんなことを共有しました。わたしという存在を受け入れてくれた友達は彼女たちが初めてでした。

短大に進学して間もない小春日和のある日、いつものように学食で集まりたわいもないことを話していたときです。そのうちの1人がこう言ってくれたんです。

もっと色んなこと話してくれていいよ。私たちもmikaのこともっと知りたいから」って。そう言ったあと、他の友人たちも「うんうん、そうだよ。もっと色々話してね」って続けてくれて。

この一言が泣けるくらいうれしかった。今まで必要とされてこなかったわたしのことをもっと知りたいって言ってくれてる。わたしのことをもっと聞かせてって言ってくれてる。

その時の湧き上がる感情は今でも忘れていません。

あまりの感動に一瞬言葉を失い、それと同時に「あ、この子たちは信用していいんだ」と頭ではなく心で理解したのを覚えています

それからの短大生活は多くの時間を彼女たちと過ごしました。休み時間、放課後、土日、夜遊び、いっぱい話してたくさん笑いました。短大なんてたったの2年。短い時間ですが、とても濃い時間を過ごしました。

わたしにとっては、人生を変えてくれた友達との出会いでした。

新卒ブランドでの就職活動経験・・・ゼロ

わたしは新卒ブランドを武器にした就職活動をしたことがありません。

短大は専門学だったのですが、それを活かした職業の選択肢に魅力を感じられず、就職という就職はしませんでした。

今では当たり前になったインターネットも当時は皆無。誰一人としてその存在を知らなかったし、パソコンでさえほとんどの人はスイッチさえ押せないレベルでした。

わたしは学生時代からお世話になっていた人材紹介会社を経由して仕事をしていました。今でいう「人材派遣」です。

日給制の週5日、1ヶ月で24万円を稼いでいました。仕事的にも文句は無かったし、短大卒業した20歳そこそこでそれだけ稼げるのは逆にうれしかったですね。

とは言っても、やっぱり企業に属して働きたかった。

派遣でヘルプ扱いではなく、自分の仕事スキルをつけたいと思ってたので、日給制の仕事をしながらも求人情報誌を見ながら積極的に転職活動をしていました。

そんな生活を3か月ほどしていたある日、たまたま見つけた求人広告をきっかけに大手人材総合サービス企業へ入社することが決まりました。

わたしが短大を卒業した年は、就職難が続く「就職超氷河期」な時代として歴史に刻まれています。そんな時代の求人案件(かつ大手)ですから、応募倍率がすごいこと。募集要員1人に対して応募者は60名を超えていました。新卒採用なら珍しくない数字ですが、中途採用で、です。

応募者には社会人経験も長く、パソコンどころかエクセル出来ますという強者ばかり。そんな中で「21歳」「未経験」「社会人経験なし」「パソコンできません」なわたしが採用されたのです。

仕事に熱中したら信用で返ってきた社会人時代

当時の面接官は後の直属上司になり、この人からはたくさんのことを学び、たくさんチャンレジさせてもらいました。業務に関することも、対人関係のことも、自分と向き合うとういことも。

この人のおかげで今の私があると断言できるくらい、本当にいろんなことを学ばせてもらいました。特に、この言葉「相手の立場になって考える」は忘れられないものとなり、今では私の基準となりました。

仕事は楽しかった。文字のごとくゼロからのスタートだったので、目に見えて出来ることが増え、自分の成長を自分で感じられる。何もできなかった未経験な自分が、人間関係に恵まれなかった私が、誰かの役に立ち、誰かに頼られる

この感触を感じられただけでうれしかったし、仕事へのモチベーションにも繋がりました。

相手の立場になって考え、頼んでくれた人の意図を汲み取りながら120%の成果で返す。この繰り返しをしていくうちに仕事での信頼関係が増し、自分にも自信がついてきました。

薦められたビジネス書や自己啓発系の本もそれなりに読みました。読んで覚えたことを実際にやってみて、どういう効果・結果が得られるかを自分自身で実験しながらわたしなりに検証してみたり。

そんな風に楽しみながら仕事をしていたら、学生時代に感じていた人間不信は弱まっていました。気付けば入社してから10年。まさか、こんなに長く働くとは思いもよりませんでした。

31歳、やりたかったことに挑戦

楽しいことばかりでなく嫌な思いをしたことや苦しいこともたくさんありましたが、全体的に仕事は順調だったと思います。

でも1つだけ、やりたいことを置き去りにしてきた過去が心から離れなくなってきたのが20代の後半。

そして30歳の誕生日、新たな30代を踏み出すべく心に決めました。

興味があってずっとやりたいと思っていたこと。けど「忙しくて時間ない」「今から始めたって遅いよね」などと、自分で言い訳を並べて始めようとしなかったことを実行に移すことにしました。

やりたかったけどやらなかったことを始める

私の場合、それが語学(英語)でした。

すっかり忘れ去られた記憶を思い出すべく中学一年生の単語復習からはじめました。文法は苦手だったので、得意な方を伸ばすことを意識しました。苦手なことを克服するより出来ることを伸ばした方が早い、と思ったのです。

そんな感じで、完全独学にて英語勉強をはじめました。

すぐに効果は出なくて何度も何度も諦めそうになったり投げやりになったりもしました。それでも何とか、かろうじて「継続すること」だけは続けていきました。

「夢は諦めなければ叶う」って半分信じてなかったけど、続けていたら本当に奇跡が...
特徴も個性もなく至ってフツーな私でも、諦めずに続けていたら奇跡が起こりました。一番大事だったのは「続けること」だったんです。

そうしているうちに少しずつ耳が慣れ、外国人の話してることが聞き取れるようになり、少しずつ効果が出始めました。

アリのような歩みでしたが自分の成長を感じられた瞬間、「もっとコミュニケーションできるようになりたい!」と、今までつまらなかった単語勉強や聞き取りも前向きに取り組めるようになりました。

さらには「もっと挑戦してみたい」という思いだけで、やりがいもあって仕事も会社も楽しかった前職を辞める決意をし、培った経験を活かして未経験業界へ飛び込んだのです。

運命を変えられた夫との出会い 

運よく自分のチャレンジ(英語)を活かせる職場に転職することができたわたしは、「心機一転がんばるぞ!」と、新しい環境で挑戦する毎日を送っていました。

そんな時にふと現れたのが今の夫です。

当時のわたしは、異性を探していたわけでも出会いを求めていたわけでもありませんでした。

全く予期してなかった夫との出会いでしたが、彼の人間性と誠実さに心打たれまくりました。話せば話すほど、知れば知るほど「こんな誠実な人いるんだ」と、驚かされたのを覚えています。

大人になるまで人間不信だったわたしには初めての衝撃でしたね。その1日がきっかけで交際に発展しました。これだけ人間性の高い人に惹かれないわけないってくらい、自然な流れでした。

そんな彼の魅力は、ご両親に初めて会った瞬間に納得しました。愛情たっぷりなこのご両親あっての彼なんだなと。

ご両親だけでなく兄弟やおばあちゃん、家族みんなが温かくてたっぷりの愛情に包まれるこの感じ。わたしが欲しくて欲しくて仕方なかった家族関係がここにはありました

昔のわたしは「世界中の全てが敵でもこの人だけは私の見方でいてくれる」なんて映画の世界だけだと本気で思っていました。でも、彼と彼のご両親と接するうちに「無償の愛」とは何かが分かった気がします。

自分の家族では感じられなかった大きな愛情。この人達だけはわたしの見方でいてくれるという安心感は、わたしの大きな財産となりました

日本を離れ、スペインへ

夫との出会いをきっかけに、思春期からの夢だった「海外へ出る」ことが現実になりました。

何度も触れてますが、わたしは短大にあがるまで交友関係には恵まれませんでした。「イジメられる方にも原因がある」とはよく言われていますが、当時のわたしの言動や思考などにもイジメられる要素があったのだと思います。

ただ、仮にそうだとしても「なぜ誰か1人の言った言葉に全員が賛同しなければならない」のか、「同じ行動をしなくてはいけない」のかは、今でも理解に苦しむところです。

「人それぞれの考えや意見があったっていいじゃない」と思っていたわたしには、「まわりに合わせろ」や「人と違うことをするな」的な個人を殺す風習が息苦しかった。

自分を出せず肩身の狭い思いをしながら成長してきたわたしには、スペインでの生活で開放感を覚えました。羽を伸ばして遊びまくるとかではなく、「目に見えない鎖でがんじがらめになっていた自分」が解放されていく感じです。

実際にスペインへ来て、今でも強く感じる違いがこの「個人」を見てくれるところだなと思います。わたしがわたしであることに意味がある

自分の本音・本質とは違うけれど、周りに合わせるために自分を繕う必要がなくなりました。だからといって自分勝手に振る舞うわけではありません。相手のことを考え、行動するのは日本にいても海外にいても同じです。

ではなくて、「自分を守るためにまとっていた鋼の防具服が自然と脱げた感覚」です。身も心も軽くなった感じ。

日本を出て7年、現在はスペインの地中海沿いに定住しています。

当初は引っ越しが多く落ち着かなかったわが家ですが、今では温暖な気候、温かい人々、たくさんの野菜とフルーツに囲まれ、比較的穏やかな生活を送っています。

わたしの英語力はというと、、

英語を勉強していたはずがスペイン語を勉強することになり、「やっぱり人生何があるか分からないな」と思いながらも、スペイン語と格闘する毎日です。

海外生活での挫折

壁にぶつかることはしょっちゅう。
海外生活を始めてからいろんな壁にぶつかりました。

引っ越しの多かったわが家は、移動する度に新たな生活基盤を作らなければなりませんでした。国をまたぐ引っ越しで、現地の情報収集には本当に苦労しました。欲しい情報が的確に見つからないことも多く、そのつど足を使ってゼロからの情報集め。

言葉にも不自由しましたし(これが一番大きい)、法律やルール・マナー・文化・慣習の違いにも戸惑い、今でこそ慣れた生活もここまでくるにはかなりの時間を要しました。

食事が美味しいとか、現地で友達が出来たりとか、楽しいこともたっくさんあります。でもそれと同じくらい(時にはその何十倍も)大変なことも多くて、良くも悪くも「海外で生活するってこういうことなんだ・・・」と身をもって感じました。

「生活」ですから、毎日いろんなことが起こります。具合が悪ければ病院へ行きたいし、歯が痛ければ歯医者さんへも行きたい。お店の人にちょっと聞きたいこともあるし、誰かに相談したいこともある。子どもがいれば幼稚園や小学校、先生とのコミュニケーションやママ友交流だって必要になります。

お国柄が裏目に出ることもあれば、良く映ることもある。たまにキレそうになることもあるけれど、そのたびに「郷に入れば郷に従え」という言葉を思い出し、自分で自分をなだめたりもします。凹みながらもトライ&エラーを繰り返していくうちに、私自身も強くなってきた・・・のかなと思います。

当ブログの趣旨・きっかけ

全ての記事は、私の実体験をもとにしています。自身の体験を発信することでこれから海外へ旅立つ方や、同じように困っている方の参考になったら・・・という思いでこのブログを始めました。

当初は移住が多かったことをメリットに旅行系の記事を多く書いていましたが、私の生活スタイル、私たちが置かれている状況も変わっていることで、幅広い内容の記事を書いていこうと思ってます。

当ブログの記事がたった1人の人にでも「役に立った」と思ってもらえたら、それだけで私は幸せです。

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